七日市陣屋(北保阪家住宅)

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七日市陣屋(北保阪家住宅)
七日市陣屋の由来や特徴等を短く纏めた動画
【 七日市陣屋:概要 】 七日市陣屋は前田利家の5男前田利孝が慶長20年(1615)の大坂夏の陣で功を挙げ1万石が与えられ七日市藩を立藩し、その藩庁として設けられた施設です。陣屋は周囲を高い土塁と塀、堀によって囲っていました。明治4年(1871)の廃藩置県により七日市藩が廃藩となり陣屋も配され、現在大部分の敷地は群馬県立富岡高等学校の敷地として利用されています。国号254号線が陣屋の北側を削るように開削された為、雰囲気は失われましたが、北東隅の櫓台(御殿山)や南東隅の土塁(前田家御宝塔)、黒門(中門)、御殿の玄関と書院の一部が残され往時を偲ぶ事が出来ます。陣屋町は陣屋の東側と北側に家老など大身の武家屋敷が配され、東側の端には永心寺(前田利孝の生母、明運尼の菩提寺)、南側には鎮守社である蛇宮神社、南側と西側の堀沿いに武家屋敷を配して防衛に当たらせていました。道は枡形状のクランクが多く、現在でもその名残が見られます。

【 北保阪家住宅:概要 】 保坂家は代々七日市前田家に仕え、家老職を歴任した家柄です。七日市藩は1万石の小藩だった為、筆頭である御家老は170石、保坂家はその次席にあたる大殿様御側御用人という役付きで150〜200石を与えられていました。現在でも当時のものと思われる壮大な長屋門が残され、往時の名残を見せています。長屋門は寄棟、桟瓦葺、外壁は真壁造り、白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張り縦押縁押え、正面武者窓付。

【 場 所 】 群馬県富岡市七日市

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