封人の家(山形県最上郡最上町堺田) |
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名 称 | 建築年 | 内 容 | 場 所 | 備 考 |
・封人の家 | ・江戸初期 | ・肝煎り、封人、役屋、問屋 ・寄棟、茅葺、直屋 | ・山形県最上郡最上町堺田 | 国重文 |
概 要 | ||||
封人家(旧有路家住宅)の所有者だった有路家は堺田村の庄屋を歴任した家柄で、仙台藩領と新庄藩領を結ぶ出羽街道沿いにあり両藩の境界に接していた事から国境を守る役人(封人)も担っていました。又、出羽街道は幕府が定めた正式な街道では無く、許可が必要な旅籠が設けられなかった為、有路家(封人の家)が旅宿としての機能を持ち合わせていました。元禄2年(1689)には奥の細道の行脚の際には松尾芭蕉と弟子である曽良が雨の為、有路家(封人の家)に3日間(2泊3日)足止となり、「蚤虱馬の尿する枕もと」の句を残した事でも知られています。一般的な旅籠建築とは異なり、農家建築の要素が強い事から人が生活する主屋と馬屋が一体になった建物であった事から、文化人(松尾芭蕉)にとっては不衛生で馬の糞尿をする音で眠れなかったのかも知れません。 |
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