池口寺: 楼門

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池口寺(中山道・木曽路・須原宿)

池口寺(長野県大桑村)概要: 瑠璃山池口寺の創建は承平7年(937)、近江国(現在の滋賀県)出身の郷司源義寛が先祖の追善供養する為に、明雲僧正を招き一宇を設けたのが始まりと伝えられています。南北朝時代の建武2年(1335)に火災により多くの堂宇が焼失した事を受け、暦応3年(1340)に当時の領主池口祥悟によって再建されています。当初は天台宗の寺院でしたが、天正2年(1574)に貴山和尚(定勝寺)によって臨済宗の寺院として改宗開山しています。池口寺薬師堂は鎌倉時代後期に造営されたもので切妻、桟瓦葺、桁行3間、梁間4間、内部には本尊である薬師像、脇侍である日光菩薩像、月光菩薩像が安置、鎌倉時代の御堂建築として貴重な事から平成2年(1990)に長野県県宝に指定されています。薬師如来坐像は鎌倉時代初期に彫刻されたもので、桧材、寄木造、漆箔、玉眼嵌入、像高141.0cm、平成22年(2010)に大桑村指定文化財に指定されています。日光菩薩像、月光菩薩像は室町時代の15世紀前半に彫刻されたもので、針葉樹材、寄木造、素地一部着色、座高(日光菩薩:147.9cm・月光菩薩:147.7cm)、昭和51年(1976)に大桑村指定文化財に指定されています。銅製鰐口は鎌倉時代の徳治3年(1308)に製作されたもので、径27.8cm、厚さ16.0cm 、昭和49年(1974)に長野県県宝に指定されています。山門は一間一戸、切妻、桟瓦葺き、四脚楼門。中部四十九薬師霊場23番札所。宗派:臨済宗妙心寺派。本尊:薬師如来。

中山道・木曽路: 中山道(木曽路)は古代の官道である東山道を前身とする街道で、古くから日本の大動脈の1つとして整備されてきました。中世に入ると、木曽義仲の後裔とされる木曽氏によってさらなる整備が進められ、後に宿場町となる要衝には木曽氏一族の居館を築き城下町が町割されました。戦国時代に木曽氏が武田家に従うようになると、武田信玄(躑躅ヶ崎館の城主)の命によりさらなる整備が行われ関所や宿場町が設けられています。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの際には徳川本隊を率いた徳川秀忠が利用し、各国人領主は開城に応じ比較的、安易に通過する事が出来ました。この時、中山道の道中を案内したのは木曽氏の旧家臣だった山村氏で、この功により木曽地方の代官に就任しています。江戸時代に入ると、正式に中山道が開削され、特に木曽谷に設けられた11宿(贄川宿・奈良井宿・藪原宿・宮ノ越宿・福島宿・上松宿・須原宿・野尻宿・三留野宿・妻籠宿・馬籠宿)を木曽路と呼んでいます。

須原宿: 須原宿は室町時代に木曽氏により築城された須原城の城下町として整備された町です。当時の須原城は木曽氏の本城だった事から周辺には歴史のある神社や寺院が集められたと思われます。永正6年(1509)に木曽氏は本城を上之段城に移すと衰微しますが、引き続き中山道木曽路の要衝の1つとして維持されました。江戸時代に入り中山道が整備されると宿場町の1つとなり、江戸時代後期には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠24軒、家屋104軒となっています。

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