長野県の楼門建築7

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名 称
内   容
場  所
・徳音寺○徳音寺は中山道(木曽路)宮ノ越宿に位置し、仁安3年(1168)、木曽義仲が母親(小枝御前)の追善供養の為に創建した寺院です。伝承によると、義仲が粟津の戦いで源頼朝から派遣された源範頼、源義経に敗れ自刃すると、遺骸は密かに当寺に運ばれ葬られたとされ、義仲の戒名に因み寺号を「徳音寺」に改め菩提寺になったと伝えられています。戦国時代には度重なる兵火により境内が荒廃しましたが天正7年(1579)に大安和尚により中興され、正徳4年(1716)に現在地に境内を遷しています。三門は江戸時代中期の享保8年(1723)に造営されたもので、三間一戸、入母屋、銅板葺、八脚楼門、木曽町指定有形文化財に指定されています。徳音寺山門は木曽八景(徳音寺の晩鐘 ・駒 ヶ岳の夕照 ・御嶽の暮雪・桟の朝霞・寝覚めの夜雨・風越の晴嵐 ・小野の瀑布・与川の秋月 )の一つに数えられています。

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・長野県
・木曽町
・玉林院○玉林院は戦国時代の天正10年に玉林和尚によって創建された寺院です。境内背後の高台は木曽氏一族の上松氏の居館跡地で、玉林院が木曽氏縁の寺院だった事が窺えます。山門は江戸時代中期の明和3年に造営された古建築物で、明治27年の火災で多くの堂宇が焼失した中、被害を免れています。山門は三間一戸、入母屋、銅板葺、八脚鐘楼門、上松町指定文化財に指定されています。

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・長野県
・上松町
・池口寺○池口寺は平安時代の承平7年、源義寛が明雲僧正(比叡山延暦寺天台宗座主の明雲大僧正の事と思われますが、年代的には200年程の開きがあり不詳。)を招き開山した寺院です。当初は天台宗でしたが、戦国時代末期に定勝寺の貴山和尚に臨済宗に改宗しています。薬師堂は鎌倉時代の御堂建築として大変貴重な存在で長野県県宝に指定されています。山門は一間一戸、切妻、桟瓦葺、四脚楼門。

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・長野県
・大桑村
・霊松寺○霊松寺は平安時代後期、藤原保近によって創建された寺院です。中世に入ると、長く当地を支配した仁科家の菩提寺となり實峰良秀禅師によって天台宗から曹洞宗に改宗し、寺号も保昌院から霊松寺に改称しています。戦国時代に仁科家が没落すると衰微しましたが、その後再興され、江戸時代にも徳川将軍家より寺領が安堵されています。明治時代には松本藩が廃仏毀釈運動を展開しましたが達淳和尚の尽力により廃寺を免れています。山門は嘉永5年(1852)に観松院の山門として建てられたもので、三間三戸、入母屋、茅葺の八脚楼門、長野県県宝に指定されています。

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・長野県
・大町市
・碩水寺○碩水寺が何時頃から信仰されていたのかは不詳ですが、戦国時代に青柳清長が天如桂樹和尚を招いて曹洞宗に改宗させ、自らの菩提寺としています。青柳家が没落すると松本藩主小笠原家の庇護となり源平盛衰記が寄進され、寺宝となっています。江戸時代には徳川将軍家が寺領を安堵されています。山門は江戸時代後期の嘉永元年(1848)の建物で、三間一戸、入母屋、桟瓦葺き、八脚鐘楼門、筑北村指定文化財に指定されています。

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・長野県
・筑北村
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