足守陣屋: 吟風閣

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足守陣屋−吟風閣
【 足守陣屋(吟風閣):概要 】 足守陣屋は元和元年(1615)に当地に入封し木下利房が立藩した足守藩の藩庁、藩主居館が設けられた陣屋です。利房は豊臣秀吉の正室高台院の甥にあたる人物で、木下姓を名乗る事が許され高浜城3万石を与えられるなど将来が嘱望され、慶長5年(1600)の関ケ原の戦いでも当然西軍に与し行動しましたが、西軍が敗北した事により改易となっています。慶長13年(1608)、父親である木下家定が死去すると遺領である足守領を巡り兄である木下勝俊と家督争いを演じ、それが幕府が知る事となり遺領は没収されています。利房は慶長19年(1614)の大坂冬の陣で功を挙げた事が評価され、父親の遺領である足守領2万5千石の領主に復権し足守藩を立藩、4代藩主木下利貞の時代にようやく当地に居館、藩庁となる足守陣屋を設け、明治維新まで木下家が藩主を歴任しています。足守陣屋の背後は小高い山である事から、それ以外の3方を足守川から水を引き込み水堀として低い石垣と土塁で周囲を囲んでいました。明治維新後に足守藩が廃藩になると一時足守県の県庁として利用されましたが、その後深津県に併合された事を受けて足守陣屋も廃され多くの施設は解体されたと思われます。解体された足守陣屋の跡地は旧制女学校、公民学校、青年学校、新制足守中学校、足守小学校、足守幼稚園の敷地として利用され、平成7年(1995)に公園として整備されています。

吟風閣は江戸時代中期の宝永5年(1708)に5代藩主である木下公定が幕府の命令により京都仙洞御所の普請造営を行い、残った用材を貰い受け足守陣屋内の北東に建設したもので、吟風閣の前面には「近水園」と名付けられた庭園が広がっています。吟風閣は数寄屋造の風情のある建物で特に、庭園側が全面開放出来るような構成になっていて縁には高欄が廻り、池に面した部分は懸造風になっています。

【 場 所 】 吟風閣:岡山県岡山市北区足守

【 備 考 】 昭和34年(1959)3月27日:岡山県指定名勝

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