岡山県: 城郭建築

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 岡山県:城郭建築一覧
市町村 城名 名称 現在 概要 備考
岡山市 岡山城 月見櫓 同左 元和元年:2層2階地下1階 国重文
岡山市 岡山城 西手櫓 同左 慶長8年:2層2階、入母屋、本瓦葺 国重文
岡山市 足守陣屋 吟風閣 同左 宝永5年:木造2階建、数寄屋 県名勝
高梁市 備中松山城 天守閣 同左 天和3年:2層2階、一部地下 国重文
高梁市 備中松山城 2重櫓 同左 天和3年:2層2階、入母屋、本瓦葺 国重文
高梁市 備中松山城 土塀 同左 三の平櫓東土塀 国重文
津山市 津山城 城門 中山神社 天保5年:薬医門、切妻、檜皮葺 市指定
津山市 津山城 城門 大隅神社 江戸後期:薬医門、切妻、本瓦葺 市指定
 岡山城−城郭建築概要
岡山城岡山城は正平年間(1346〜1369年)上神高直により築かれた平山城です。その後、城主となった金光宗高は当初、松井氏の配下でしたがその後、三村氏、宇喜多氏と主家を変えました。元亀元年(1570)、宇喜田直家は外様である金光氏の所領を掌握する為に、謀反の嫌疑を掛け、岡山城を接収、宗高は切腹しています。直家は居城を沼城から岡山城に移すと大改修と拡張を続け当地方を代表する大城郭を築きました。跡を継いだ宇喜多秀家は五大老に就任するなど豊臣政権下で大きな影響力を持ちましたが、慶長5年(1600)の関が原の戦いで西軍に与した為改易となり、岡山城には合戦中に東軍に転じた小早川秀秋が入封します。しかし、慶長7年(1602)に秀秋が死去した事で小早川家は断絶となり、慶長8年(1603)に池田忠継が入封し岡山藩を立藩します。寛永9年(1632)池田光仲は幼少だった為、鳥取城に移封となり逆に鳥取城から池田光政が入封し、以後、池田家が城主を歴任して明治維新を迎えています。明治6年(1873)に発令された廃城令により多くの建物が破却、払い下げとなり、堀や城郭も次々と埋め立てや土地整備によって市街地に埋没していきました。それでも本丸には五層の天守閣をはじめ月見櫓、西之丸西手櫓、石山門が残され国宝(現在の国指定重要文化財)指定されていましたが、昭和20年(1945)の岡山大空襲により天守閣と石山門を焼失しました。現在は月見櫓と西之丸西手櫓が現存し、天守閣と不明門が復元されています。又、岡山城の出城の役割を持った後楽園は兼六園(石川県金沢市)、偕楽園(茨城県水戸市)と共に日本三大名園に数えられています。
 備中松山城−城郭建築概要
備中松山城備中松山城は仁治元年(1240)、当時の地頭である秋葉重信によって築かれたのが始まりとされます。当初は大松山のみ築かれた小規模の城郭でしたが元弘年間(1331〜1333)に高橋宗康が小松山まで城郭を拡張し本格的な山城となり、戦国時代に城主となった三村元親がさらなる整備を行い一大要塞を構築しました。当時、備中松山城は織田領と、毛利領の巨大勢力の狭間にあった為、戦略的な拠点として重要視され、松山城を巡る攻防戦が度々行われ、天正2年(1574)に元親が織田方に転じた事を皮切りに毛利方の侵攻が強まり、天正3年(1575)、毛利家一族の小早川隆景により落城、元親も自刃しています。その後は毛利家の持城として家臣達が城代として守ってきましたが、慶長5年(1600)の関が原の戦いで毛利家が西軍に与し敗北した為、松山城は幕府から接収され一時天領となています。元和3年(1617)に池田長幸が6万5千石で入封し備中松山藩を立藩、その後は寛永19年(1642)に水谷勝隆(5万石)、元禄8年(1695)に安藤重博(6万5千石)、正徳元年(1711)に石川総慶(6万石)が入封し、延享元年(1744)に板倉勝澄が5万石で入封すると、以後、板倉家が城主を歴任して明治維新を迎えています。明治6年(1873)に廃城令を受けて松山城も廃城となりましたが、基本的に麓の居館のみが破却され、山頂の城郭部分は放置という珍しい処置が行われた為、山城では珍しい天守閣が現存する結果となりました。山頂には2層2階の天守閣の他、2重櫓1基、土塀が現存し城跡は国指定史跡に指定されています。
 津山城−城郭建築概要
津山城津山城の築城は嘉吉年間(1441〜1444)、山名教清(美作国守護職)が家臣で一族の山名忠政に命じて築かせたのが始まりとされます。当初は「鶴山城」と称していましたが、応仁の乱などで山名氏が衰退すると城も利用されなくなり事実上の廃城となりました。慶長8年(1603)、森忠政が当地に入封すると鶴山城は大改修され城名も「津山城」に改称、これをもって津山藩を立藩しています。森家は忠政、長継、長武、長成、衆利と城主を歴任しましたが、元禄10年(1697)、5代森衆利は幕府の「生類憐れみの令」に疑問を持ち問題行動を起こした為に改易となり(森家はその後再興され西江原藩に移封)ました。津山城には元禄11年(1698)に松平宣富が入封し、以後、松平家は9代に渡り城主を歴任し明治維新を迎えています。明治6年(1873)の廃城令により津山城は廃城となり、多くの建物が破却又は払い下げとなり、明治8年(1875)には威容を誇った天守閣も解体されました。遺構としては城門の1つが大隅神社の神社山門、二の丸の城門が中山神社の神社山門として移築されています。津山城は梯郭式平山城で本丸に設けられた4層5階の独立型層塔形式の天守閣をはじめ、城内には77棟の櫓を持つ大城郭で日本三大平山城に数えられました。
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