七尾城(大手門): 医光寺

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七尾城(大手門)−医光寺

【 七尾城大手門:概要 】 医光寺の総門は室町時代に益田氏の居城である七尾城の大手門として建てられたと推定される建物です。益田氏は戦国時代に毛利氏に従った為、慶長5年(1600)の関ケ原の戦いでは毛利氏と共に西軍に与し敗北後に大幅な減石を受け入れます。

益田元祥は名将として広く知られる存在で、徳川家康は益田領の安堵と独立した大名に取り上げようとしましたが、元祥は大恩ある毛利氏を立て家康の恩賞を固辞した為、長門国須佐に移封となり当地を去っています。

七尾城はそれに伴い廃城となり破却されましたが、大手門は益田氏に縁のある医光寺の総門として移築されたと伝えられています。

医光寺の境内には当寺を創建した17代目当主益田宗兼の墓碑や室町時代の画聖雪舟が作庭した蓮莱型山水庭園などが残されています。

医光寺総門は切妻、本瓦葺、一間一戸、高麗門形式、中央部の屋根が左右より高く上げられているのが大きな特徴で印象深い景観を作り出しています(黄檗宗寺院の意匠に似ている)。門扉がなく、柱や梁材が無骨な程太く、江戸時代に建てられた洗練された城郭建築とは異なる印象を受けます。

【 場 所 】 医光寺:島根県益田市染羽町

【 備 考 】 昭和34年(1959)9月1日:島根県指定文化財

医光寺総門(七尾城移築大手門):付近地図

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