山吹城(石見銀山遺跡): 西本寺

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山吹城(石見銀山遺跡)−西本寺
【 山吹城城門:概要 】 石見銀山は日本屈指の銀山として知られ、採掘量の大きさから諸大名が支配権をかけて攻防戦が繰り広げた為、必然的に石見銀山を守備する防衛施設が必要となりました。山吹城は鎌倉時代末期の延慶2年(1309)頃に石見銀山が発見された後に大内弘幸、又は採掘量が増大し重要性が増した頃の大内義興(1477〜1529年)によって築かれたとされます。享禄3年(1530)に石見国の国人領主である小笠原長隆が石見銀山を奪取する事件が発生し、その後大内氏が奪還するものの、危機管理を強化し山吹城も本格的な山城に拡張整備を行ったとされます。戦国時代に入ると尼子氏の台頭により、度々石見銀山を巡り戦が行われ所有権が数度に渡り移り、山吹城も戦場になったと思われます。毛利氏が台頭し大内氏が没落すると、今度は毛利氏と尼子氏による争奪戦となり、数度の戦の末、永禄5年(1562)に毛利元就の侵攻により山吹城は落城し石見銀山は毛利氏の支配に確定しました。慶長5年(1600)の関ケ原の戦いで毛利氏が西軍に与し敗北した為、大きく領土を失い石見銀山と山吹城は幕府の所有となりましたが、慶長6年(1601)に幕府は拠点を大森代官所に遷した事で山吹城は廃城となっています。

西本寺の山門は山吹城の追手門(大手門)として建てられたもので、山吹城が廃城になった後、慶長9年(1604)に龍昌寺の山門として移築改造され、昭和36年(1961)に西本寺に移築されています(大幅に改造されている為、江戸時代初期の新築扱いとなっています)。山門は切妻、桟瓦葺き、一間一戸、四脚門。西本寺の境内は「石見銀山遺跡とその文化的景観」に含まれユネスコの世界遺産に登録されています。

【 場 所 】 西本寺:島根県大田市大森町

【 備 考 】 平成16年(2004)4月27日:大田市指定文化財・境内一円:世界遺産

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