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 神社山門: 雄山神社

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雄山神社

雄山神社(富山県立山町岩峅寺)
【 概 要 】−雄山神社は大宝元年(701)に越中国司を任ぜられ当地に赴任してきた佐伯宿祢有若の嫡男、有頼が雄山大神の化身と思われる白鷹と熊に導かれ、立山の岩窟に至ると雄山大神が出現し立山を開山するように告げられました。有頼が主家して慈興上人になると立山の信仰を広める事に尽力し、何時しか富士山、白山と共に日本三霊山に数えられ、多くの参拝者が訪れるようになりました。立山は冬季の間、登拝が困難な為、当地に遥拝所が設けられ前立社壇として信仰の中心となりました。格式も高く、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳では式内社として記載され、越中国一之宮として国の祭事を執り行う立場となり、歴代領主や為政者にも崇敬庇護されました。又、神仏習合し、前立社壇は立山寺又は岩峅寺と称して境内には多くの堂宇が造営され数多くの坊も設けられました。明治時代の神仏分離令と廃仏毀釈運動により仏教色が一掃され、改めて社号を雄山神社に改称し国幣小社に列しています。

【 場 所 】富山県中新川郡立山町岩峅寺

【 構 造 】−切妻、銅板葺き、三間一戸、八脚単層門

【 備 考 】−一宮争いは珍しい事ではありませんが、越中国では高瀬神社、気多神社、射水神社、雄山神社の4社が自称しています。時代の大まかな流れとしては越中国が成立した頃は後に能登国となる能登半島と現在の富山県全域が国の範囲であり、当初は石川県羽咋市寺家町に鎮座する気多大社が一宮だったと思われます。能登国が分立すると、越中国で最も神階が高く名神大社に列していた射水神社に遷り、越中国府の近くに気多大社の分霊を勧請し気多神社が創建されると、気多神社に遷り、国府が砺波郡に遷ると砺波郡で最も格式の高い高瀬神社に遷り、高瀬神社が兵火により焼失し多くの社僧が雄山神社に退避すると、雄山神社が一宮を担うようになったと思われます。

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