金山城(二の門): 瑞泉寺

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金山城(二の門)−瑞泉寺
【 金山城(二の門):概要 】 瑞泉寺の裏門は金山城(現在の岐阜県可児市兼山)の二の門を移築したものと伝えられています。金山城は戦国時代の天文6年(1537)に美濃国の領主となった斎藤道三の命令で養子である斎藤正義(関白近衛稙家の庶子)が築城した中世の山城で、織田信長が美濃に侵攻し領土化すると重臣である森可成が永禄8年(1565)に城主に就任しています。その後は森一族が城主を歴任していましたが、慶長5年(1600)に当時の城主である森忠政が信濃国川中島(長野県長野市松代町)13万7千5百石に加増転封となり、金山城は当時の犬山城の城主石川貞清が接収し廃城としています。貞清は犬山城の大改修を計画しており、金山城の多くの施設が犬山城に転用されたと伝えられています。犬山城の天守閣も金山城のものを転用したとの説もありましたが、犬山城の天守閣が保存の為に調査された際、そのような形跡が発見されなかった事から現在は否定的な意見が多いようです。

瑞泉寺の裏門の建築年や、どの様な経緯で移築されたのかも良く判りませんでした。形式は切妻、桟瓦葺き、一間一戸、高麗門。

【 場 所 】 瑞泉寺−愛知県犬山市犬山瑞泉寺

【 備 考 】 −

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