津山城(二の丸城門): 中山神社

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津山城(二の丸城門)−中山神社
【 津山城(二の丸城門):概要 】 津山城は4重5階地下1階の層塔型天守や数多くの櫓を有していた事から日本三大平山城に数えられました。特に津山城の櫓の数は77棟とされ、広島城の76棟、熊本城61棟、姫路城61棟を凌ぐ日本最大級の数を誇りました(年代や数え方によって櫓の数は前後するようで、広島城を88棟、熊本城を68棟とする例も見られます)。しかし、明治4年(1871)の廃藩置県、明治6年(1873)の廃城令により明治7年(1874)から明治8年(1875)にかけて悉く解体され、津山城の施設として現存するものは城門が払い下げられ移築した中山神社の神門と大隅神社の神門の2棟だけになってしまいました。

今回、中山神社の神門を調べるにあたり、他サイト様の多くが津山城の「二の丸四脚門」を移築した旨が記されていました。しかし、現在の中山神社の神門(切妻、こけら葺き、一間一戸)は薬医門形式である事から、元々四脚門だったものを神門として移築された際に改変されたのか、元々薬医門だったものが他サイト様が記載を間違ったのかは判りません。さらに、調べると、四脚門とされる門が四足門(四ツ足門)と記載されている資料があり、薬医門は柱が4本(本柱2+控柱2本)、四脚門は柱が6本(本柱2+控柱4本)である事から元々薬医門だった事が判ります。因みに同じく津山城の城門を移築した大隅神社の神門も薬医門形式です。

【 場 所 】 中山神社:岡山県津山市一宮

【 備 考 】 昭和50年(1975)11月15日:津山市指定重要文化財(建造物)

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