魏略から考察する対馬国

対馬国

始度一海千余里至対馬国其大官卑狗副曰卑奴無良田南北市糴

上記は「魏略」の一文で、現在は「翰苑」で残されています。意味としては、狗邪韓国から始めて海を度る千余里、対馬国の国境に至る。其の大官は卑狗と言い、副を卑奴と言います。良い田圃は無く、南北に一糴しています。と訳せます。

魏志倭人伝でも同様な一文があり、魏略が「対馬国」に対し魏志倭人伝では「對海國」となっています。魏志倭人伝の原文は草書体で記され、「馬」と「海」の字は書道家でも見分けがつかない程類似しているそうで、単純に楷書体として写す際に見間違ったと考えるのが一般的です。穿った見方をすると、邪馬台国の「馬」の字が「海」の間違いで、それを示唆する為にあえて間違ってみせたとも考えられます。

副官の名前は魏略が「卑奴」、魏志倭人伝では「卑奴母離」と異なり、この卑奴母離は、壱岐国、奴国、不弥国の副官も同じ名前である事から、役職名と考えられています。「母離」は単純に考えると「守」、日本では古代から「守」は護衛・警備・守護などの役職名を現わしている事から、弥生時代から「守」が使われていたと考えられます。「卑奴」は鄙びたの「ひな」に通じ、「地方」と訳せ、通すと警備を担当する地方長官のような役割だったと考えられます。穿った見方をすると「イドモリ」と呼んで「伊都守」、倭国の中心国である伊都国から派遣された守備隊といった感じかもしれません。

魏志倭人伝の方が情報量が豊富で、「方可四百餘里」や「千餘戸(面積は壱岐国より大きいですが戸数が3分1と少ないのが特徴です)」、国の様子(山深く、道路は獣道のよう、絶島、海産物を食す)などが記されています。ここで気になるのは「方可四百餘里」で、何故、魏略では省略されていたものが魏志倭人伝で態々掲載されたのか疑問の1つです。一般的には「方」の字は面積を現わすとされていますが、方4百里では対馬の面積とは全くと言っていい程に的外れで、形状も大きく異なり計測技術云々では無く、何か違う事が示唆しているようです。

「市糴」とは米を買う事で、対馬国には良い田圃が無い事から米が不足し、南や北の貿易によって米を買い付けている、といった趣旨です。

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