魏略から考察する邪馬台国と女王国

邪馬台国が存在するのかしないのか?女王国が存在するのかしないのか?「魏略」から考察していきます。

「魏略」−魏略は魏志倭人伝より数十年早く成立し、魏志倭人伝の多くの部分は魏略を参考にしたと考えられています。魏略は魚拳により西暦280年頃に、魏志倭人伝は陳寿により呉が滅亡した西暦280年から死去した西暦297年頃までに成立したと推察されています。現在、魏略の殆どは紛失され、一部、逸文(倭に関しては「三国志」裴注、「漢書」師古注、「翰苑」、「北戸録」、「魏書」、「法苑珠林」など)として残されているのみですが、魏志倭人伝との表現の違いから邪馬台国と女王国がどの様なものかを考えていきたいと思います。もしかしたら、陳寿の考えの一端が判るかも知れません。

魏略逸文

〇−「倭在帯方東南大海中依山島為国度海千里復有国皆倭種(漢書地理史 顔師古注)」について

〇−「従帯方至倭循海岸水行歴韓国到拘邪韓国七千里(翰苑)」について

〇−「始度一海千余里至対馬国其大官卑狗副曰卑奴無良田南北市糴(翰苑)」について

〇−「南度海至一支国置官与対同地方三百里(翰苑)」について

〇−「又度海千余里至末盧国人善捕魚能浮没水取之(翰苑)」について

〇−「東南五百里到伊都国戸万余置曰爾支副曰洩渓觚柄渠觚其国王皆属女王也(翰苑)」について

〇−「女王之南又有狗奴国以男子為王其官曰拘右智卑狗不属女王也(翰苑)」について

〇−「自帯方至女国万二千余里(翰苑)」について

〇−「其俗男子皆点而文聞其旧語自謂太伯之後昔夏后少康之子封於会稽断髪文身以避蛟龍之害今倭人又文身以厭水害也(翰苑)」について

〇−「倭国大事輒灼骨以卜先如中州令亀視タク占吉凶也(北戸録)」について

〇−「其の俗不知正歳四時但記春耕秋収為年紀(魏志倭人伝 裴松之注)」について

〇−「倭南有侏儒国其人長三四尺去女王国四千里(法苑珠林、魏略輯本)」について

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