「里」編

 全国の観光と歴史的建築物(ホーム)邪馬台国邪馬台国の架空説を導く○○女王国までの距離>「里」編

邪馬台国は「倭」に存在するのか

特に邪馬台国九州説を唱える人達が提唱するのが「短里」という概念です。当時の中国の一般的な「里」の単位は434mですが、何故か魏志倭人伝ではそれよりも短い「短里」と呼ばれる単位が存在し、それに沿って記載されていると強く信じているようです。しかし、その「短里」も人によって長さが異なり、大凡一里を60m〜80m位を考えている人が多いようです。何故、沢山の説が生れるのかというと、決まった定説が無い為、個人個人が難しい計算の結果、独自の「短里」を求めたからで、現在も決定打が定まっていません。確かに魏志倭人伝では、一般的な「里」の単位である434mを当てはまるめると、全く地図上に収まらないという珍現象があり、特に九州説の場合は短い距離が求められる為、必然的に「短里」が必要となってきます。

しかし、存在するのかしないのか判らない「短里」にとらわれると、魏志倭人伝で記載された国々の比定地を逆に「短里」で探すようになり、柔軟な発想を出にくい状況になりかねません。まずは一端、「短里」という概念を外す作業が必要です。当サイトでは、場面場面でその時の一里の値を求め、一般的な「里」の単位である434mから決まりの良い数字を採用する方法を採りました。すると、帯方郡から狗邪韓国までの一里は434mの4分1である108.5m。狗邪韓国から壱岐国までの一里は434mの8分1である54.25m。壱岐国から末盧国までの一里は434mの16分1である27.125m。という結果になりました。同一文献では同一の単位が使われるという主張はごもっともですが、実際には3種類の「里」が存在します。当然、これも、概念的なもので、結果的にこのような数字に近い距離になっただけ、1万2千余里に合わせようとした皺寄せが、現れているだけと解釈します。それを、無理やり「短里」という同一単位に縛られる結果、あり得ない場所に導いてしまうのです。特に壱岐国から末盧国までの距離は同じ千里でも圧倒的に短いのが誰の目でも明らかです。そして、同一単位に縛られると末盧国を福岡市博多や松浦市に比定したくなります。これが「短里」の弊害の1例です。「短里」という呪縛から離れるには、まず、1万2千余里が倭国の国々の距離を加えた結果偶然に算出されたものでは無く、最初に1万2千余里ありきで、その距離を分配して造り上げられたものと理解しなければなりません。その為、場面場面で無理が生じ、それに見合った「里」の単位が発生してくるのです。これは魏志倭人伝の構成上しかたのない事で、無理やり「短里」を持ち込むべきではないと考えます。

※ このサイトは予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、リンクはフリーです。