多くの説で見られるのは帯方郡から1万2千余里に邪馬台国があるという誤解です。魏志倭人伝では「自郡至女王國萬二千餘里」と記され、邪馬台国ではなく女王国まで1万2千余里と明確に記載されています。そして、当サイトの他のページ(国とは)では邪馬台国は女王国と同義では無い事を検討しています。本来、女王国は女王(卑弥呼、壱与)の権益が及ぶ範囲(国々)を中国側が揶揄した存在である事から、帯方郡から女王国までの距離は重要性が低い事案です。一方、邪馬台国が「倭」に実在し倭王である卑弥呼の都があるならば、邪馬台国の距離を明確にする事は必須です。
それでは、魏志倭人伝に沿って帯方郡から1万2千余里に邪馬台国があるのか、それとも女王国があるのかを検討します。まず、魏志倭人伝は当時の人はともかく、現代の人には非常に判りにくい表現をしています。単純に普通に読んでも1万2千余里に辿り着かないようになっています。たぶん、昔の中国の歴史書には特別な約束事があり、それが判る人には問題無かったのかも知れません。次に挙げる事柄は特に注意が必要です。当サイト也に検討した事をまとめています。
(1)−「里」について。
(2)−「至」と「到」の違いについて。
(3)−「方位」のあるなしについて。
(4)−「度」と「渡」の違いについて。
(5)−「行」のあるなしについて。
(6)−「官名」のあるなしについて。
(7)−「略載」のあるなしについて。
(8)−「移動手段」のあるなしについて。
以上を踏まえた検討結果。
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