・安藤家は元々佐土原に居を構えていましたが、慶長5年に高岡郷が開かれた際に当地に遷されました。当地では「あんづどん」と呼ばれ分限者(金持ち・財産家)として知られていました。
安永8年に編纂された「高岡衆中高帳」によると96石余の禄高だったと記されている事から当地では上級武士に当たる事が判ります。
高岡郷の武家屋敷の垣は、元々竹垣でしたが、江戸時代末期頃になると格差が緩くなったようで浦之名地区や浜子地区の山で切り出された高岡石と呼ばれた溶結凝灰岩で石垣が積まれています。
安藤家武家門と石垣は高岡麓の歴史的景観を構成する重要な要素として貴重な事から宮崎市指定文化財に指定されています。
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