・伊東祐正家は飫肥藩主伊東家の分家筆頭である左門家の家柄で、明治維新以降に当時の当主である伊東益夫が飫肥藩の上級家臣である松岡八左衛門や川崎宮内が住んでいた当地に遷り住みました。
明治10年頃に火災で焼失し、明治27年以降に跡を継いだ伊東駒千代が稲澤家住宅を参考にして再建しています。
現在の建物はその当時のもので、木造2階建て、切妻、桟瓦葺き、平入、正面中央に玄関が設けられ、その奥に10帖の玄関の間、その右側(南側)が床の間付きの表座敷が配され、接客空間となっています。
元々は木造平屋建て、寄棟、茅葺で、北側と東側にも部屋が複数配され、家老屋敷に相応しい大きな住宅でしたが、昭和28年に切り詰められ、屋根は切妻の桟瓦葺きに改変されています。敷地面積1960.32u、建築面積115.27u。
旧伊東祐正家がある飫肥が日南市飫肥伝統的建造物群保存地区に選定されると、その構成要素である伝統的建造物となり保存物件に指定されています。
|