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神社山門: 美保神社 |
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美保神社 |
【 概 要 】−美保神社は平安時代中期に成立した延喜式神名帳に記載された格式の高い古社です。歴代領主から崇敬庇護され社領の寄進や社殿の造営が随時行われました。特に境内地は海上交通の要衝だった事から海運業者や漁業関係者から信仰され、恵比寿信仰の本社としても信仰されました。本殿は大社造が2棟並列する「美保造」又は「比翼大社造」と呼ばれる独特な配置構成が成され国指定重要文化財に指定されています。
【 場 所 】−島根県松江市美保関町美保関 【 構 造 】−切妻、檜皮葺、三間一戸、八脚単層門 【 備 考 】−祭神である三穂津姫は高皇産霊尊の娘で、日本書紀 巻第二 神代下第九段 一書第二によると『時に高皇産靈尊、大物主~に勅す。「汝若し國~を以ちて妻と爲せば、吾、猶汝に疏き心有りと謂わん。故、今、吾が女三穗津姫を以ちて汝に配せて妻と爲さん。宜しく八十萬~を領いて永く皇孫の爲に護り奉れ」。』とあり、大己貴~(大国主)が天津神に国譲りを行い百不足之八十隈(幽界)に隠れた際、高皇産霊尊の勧め(半ば無理やり)により大己貴~の妃となっています。一方、奈良時代に成立した「出雲国風土記」島根郡美保郷の条によると、大穴持命(大己貴~=大国主)と奴奈宣波比売命(奴奈川姫命※現在の北陸地方である高志国の俾都久辰為命の娘。新潟県糸魚川市では奴奈川姫命を祭る神社が複数鎮座しています)の娘である御穂須須美命が当地に鎮座した旨が記されている為、美保神社の最初の祭神は御穂須須美命だった可能性が高いと推察され、社号や地名の「美保=ミホ」は「御穂須須美命=ミホススミ」の「ミホ」とする説があります。後年、何らかな都合で当社に三穂津姫と事代主神が祭られるようになると、摂社である地主神社に御穂須須美命が祭られるようになったと思われます。事代主神は国譲りの際に美保ヶ崎で船で釣りを楽しんでいたところを呼び戻され、あっさり天津神への国譲りを了承し、乗ってきた船を転覆させその中で隠れたという事象がある事から当社で祭られる理由がありますが、三穂津姫が当社に祭られる理由は良く判りませんでした。
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