魏略から考察する伊都国

伊都国

東南五百里到伊都国戸万余置曰爾支副曰洩渓觚柄渠觚其国王皆属女王也

上記は「魏略」の一文で、現在は「翰苑」で残されています。末蘆国の北端国境から東南方向5百里で伊都国の中心地に到着。戸数は1万余戸。官が居て、爾支、副官が洩渓觚、柄渠觚と言います。其国王は皆女王に属しています。と訳されます。

伊都国の戸数については魏略が1万余戸、魏志倭人伝では千余戸と10倍の開きがあります。文章的に国王が居るのは伊都国と狗奴国だけなので、魏略の1万余戸の方が相応しい印象を受けます。ただし、1万戸という事は1戸に5人から7人住んでいると仮定すると人口が5〜7万人規模となり、専門家である小山修三の説では西暦200年前後の九州地方の人口を10万5千人程度と見込んでいる為、現実的にはあり得ない人口となります。これは、魏志倭人伝で記されている、邪馬台国7万戸、投馬国5万戸、奴国2万戸も同様で、大凡合っていると考えている人も多いようですが、意図的に戸数を増やしたと考えるのが自然と思われます。

魏略、魏志倭人伝共に、上官と思われる者が1人、副官が2人の体制として表現され、この体制は伊都国と邪馬台国の2国だけである事から伊都国が倭国の中で重要な地位を示しているという説が有力です。又、隣接する末蘆国に官名が無い事から、伊都国の副官が兼任していたとの説があり、邪馬台国と投馬国と伊都国だけが副官が卑奴母離でない事も注視されています。伊都国の副官名が魏略では「洩渓觚」、魏志倭人伝では「泄謨觚」と異なりますが何故かは判りません。記された時期が異なる為に人物そのものが交代したのかも知れません。

次に続く一文がかなり問題で、魏略では「其国王皆属女王也」、魏志倭人伝では「世有王皆統屬女王國」と異なります。「皆」が付いている事から複数の国王の存在が読み取れますが、「其」が何を指しているのかが極めて曖昧です。そこで、魏略の場合は狗邪韓国対馬国壱岐国末蘆国の国王を指し、伊都国の女王に皆属していると訳す事が出来ます。一方、魏志倭人伝では、伊都国には代々国王が居て皆、女王国に属していると訳す事が出来ます。魏略には記されていませんが伊都国には、倭国の中心的な施設が設置され、上記のように副官が2名、卑奴母離がいないなど、他国より上位にある事が明白です。魏志倭人伝での女王国を邪馬台国と同義であると思っている人は多いようですが、女王国は倭王である卑弥呼に従う21カ国をまとめて表現しているだけの話で、その女王国より伊都国が上位であると解釈するのが自然と思われます(伊都国に設置された一大率を他の国々が恐れているなど)。魏略、魏志倭人伝、指し示す対象は異なりますが、何れも伊都国の国王が倭にある国々を統率する立場を表現していると思われます。

魏志倭人伝では帯方郡の使者は伊都国より先は訪れた事が無いとの説があり、魏略も逸文のみで何とも言えませんが、これを信じれば伊都国の後は狗奴国の記事となっている事からその説を補完しています。

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