国指定重要文化財(千国街道)

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千国街道:一覧

名 称
建築年
内 容
場 所
備考
・盛蓮寺・室町後期
・伝:1470年
・観音堂:木造平屋建、寄棟、銅板葺、桁行3間、梁間3間
・平安時代創建、観音堂は松本平で最古の木造建築。
・長野県
・大町市社
 
仁科神明宮・江戸初期・本殿:神明造、桁行3間、梁間2間、軒高6.6m
・中門:単層平入、四脚門、切妻、一間一戸、こけら葺
・釣屋:両下造、切妻、板葺、桁行1間、梁間1間
・現存する最古の神明造、神明造唯一の国宝
・式年造替による古式の形態が継承されている
・中世長く安曇野を支配した仁科氏の崇敬社、仁科三大社
・長野県
・大町市
・社宮本
国宝
若一王子神社・室町後期
・弘治2年
・1556年
・本殿:一間社、隅木入春日造、檜皮葺
・神仏習合の名残で境内には三重塔と観音堂が残る
・仁科氏の祖先、仁科王が創建したと伝わる古社
・中世長く安曇野を支配した仁科氏の崇敬社、仁科三大社
・千国街道沿いに鎮座
・長野県
・大町市
・大町
 
松本城・安土桃山期
・安土桃山期
・安土桃山期
・寛永年間
・寛永年間

大天守:五層六階、入母屋、本瓦葺、大壁造、白漆喰
乾小天守:三層四階、入母屋、本瓦葺、大壁造、白漆喰
渡櫓:二層二階、、両下造、本瓦葺、大壁造、白漆喰
辰巳附櫓:二層二階、入母屋、本瓦葺、大壁造、白漆喰
月見櫓:平屋地下一階、寄棟、本瓦葺、大壁造、白漆喰
・大天守、乾小天守、渡櫓は石川数正、康長父子による
・辰巳附櫓と月見櫓は松平直政による
・長野県
・松本市
・丸の内
国宝
神明社・安土桃山期
・天正16年
・1588年
・神明社本殿:一間社切妻造、見世棚造、直線厚板葺
・諏訪社(相殿)本殿:一間社流造、見世棚造、厚板葺
・平安以前に創建されたと伝わる古社、沢渡郷総鎮守
・中世は仁科家の一族である沢渡氏によって庇護された
・長野県
・北安曇郡
・白馬村
・三日市場
 
・松尾寺・室町末期・本堂:寄棟、銅板葺、平入、桁行5間、梁間5間
・創建は白鳳年間とも、享禄元年(1528)仁科盛政とも
・明治時代の神仏分離令により多くが破棄された
・長野県
・安曇野市
・穂高有明
 
・千国街道・千国街道は明治時代までは日本海(新潟県糸魚川市)と信州とを結ぶ主要幹線の一つで長期の間、人や文化、物資が往来しました。千国街道を含む安曇野一帯は、古代の氏族の後裔とも云われる仁科氏が戦国時代に没落するまで支配し、街道沿いには仁科氏縁の史跡が点在しています。神社仏閣も仁科氏と関わりを持ったものが多く、文化政策にも尽力していた事が窺えます。千国街道は物資の流通経路として、多くの富をもたらせた為、仁科氏も小笠原家や武田家に従ったものの、街道の権益は最後まで手放さなかったとされ、最重要視されていた事が窺えます。江戸時代に入ると、松本藩は千国街道以外からの経路で塩を輸入する事を禁じた為、「塩の道」との別称があり、街道沿いには塩蔵と呼ばれる、塩専用の蔵が数多く存在したそうです。明治時代以降に新道が開削されると千国街道を利用する人もいなくなりましたが、山中には当時の景観が残されています。
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