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 神社山門: 武芸八幡宮

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武芸八幡宮

武芸八幡宮(岐阜県関市)
【 概 要 】−武芸八幡宮の創建は泰澄大師により開かれたのが始まりとされます。観応2年(1351)に森又太郎源泰朝が再興し、戦国時代には岐阜城の鬼門鎮守として織田信長(安土城の城主)から庇護されました。その後も織田信忠、織田信孝から崇敬され社運も隆盛しました。参道の大杉は岐阜県指定天然記念物に指定されています。

【 場 所 】−岐阜県関市武芸川町八幡

【 構 造 】−切妻、銅板葺、三間一戸、八脚単層門

【 備 考 】−武芸八幡宮を中世庇護していた森家は河内源氏の惣領である源義家の7男源義隆が相模国愛甲郡毛利庄に配された際、森冠者と名乗ったのが始まりとされます。さらに、義隆の3男源頼隆が出家後に森蔵人入道西阿を名乗り、その2男である源頼定が宝治元年(1247)に発生した宝治合戦の後に正式に「森」姓に改めました。頼定の次男である定氏の家系の一族が美濃国に土着したとされ、その後、美濃国守護の土岐氏に仕え300貫の知行を安堵されています。

一方、南北朝時代の観応2年(1351)に武芸八幡宮の社殿を再建した森又太郎源泰朝は頼定の5男とされ、何れかの後裔が可房→可秀→可行→可成と続き、可成の代で主家である土岐家が美濃の斎藤道三に敗れた事で一時没落し、織田信秀の家臣として復権すると以後、織田家の重臣としての地位が確立しています。

特に可成の2男である森長可は信濃国川中島20万石の大名に抜擢され、その弟の森蘭丸は織田信長の小姓として重きを成し美濃国金山6万石を領しました。

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