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 笠間稲荷神社(茨城県笠間市)

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笠間稲荷神社・神社山門:写真

笠間稲荷神社(茨城県笠間市)

笠間稲荷神社:概要

笠間稲荷神社(茨城県笠間市)が何時頃から信仰を始めたのか判りませんが、由緒によると奈良時代以前の白雉2年(651)に創建されたとされます。又、和銅6年 (713)に編纂された常陸国風土記によると笠間村で宇迦之御魂神(稲荷神)が信仰されていた事が記載されている事から笠間稲荷神社が既に存在していたと考える人も多いようです。しかし、創建から近世に至るまでの記録が全く無い為、実際は何時頃に創建しどの様な歴史を刻んでいたのは判らない謎の神社です。笠間稲荷神社の記録が明確になるのは江戸時代からで、笠間藩主松平康重が慶長13年(1608)に丹波国篠山藩(現在の兵庫県篠山市北新町城内)5万石に加増移封になった際、領内に笠間稲荷神社の分霊を勧請し王地山稲荷神社創建した事から篤く崇敬していた事が窺えます。慶長17年(1612)に笠間藩に入封した戸田松平康長も、元和2年(1616)に上野高崎藩(群馬県高崎市・本城:高崎城)、元和3年(1617)に信濃松本藩(長野県松本市・本城:松本城)に移封になった際にも笠間稲荷神社の分霊が勧請され松本城内に稲荷神社が創建されています。代わって入封した永井直勝も元和8年(1622)に古河藩(茨城県古河市・本城:古河城)に移封した際に分霊が勧請され古河にも稲荷神社が創建されています。浅野家時代には城代家老大石家が崇敬し、1645年に赤穂藩に移封になった際に屋敷に大石稲荷神社を設けています。元禄15年(1702)に入封した井上家も崇敬し、特に井上正賢は霊夢に笠間稲荷神社の祭神が出現し御神託を受けた事から祈願所として境内の整備に務めました。延享4年(1747)に入封した牧野貞通も井上家同様に祈願所として庇護し、特に牧野貞長の尽力により正一位稲荷大明神の神位を賜り、江戸時代末期の牧野貞明が造営した本殿は秀逸な建築である事から国指定重要文化財に指定されています(牧野家の江戸下屋敷にも創建され、現在では笠間稲荷神社東京別社となっています)。明治時代に入ると神仏分離令や、廃藩置県により笠間藩が廃藩となり庇護者を失い荒廃しましたが、鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)から現在の宮司家が再興し現在に至っています。初詣参拝者数は80万人以上とされ茨城県内最多を誇り、年間でも350万人の参拝客が訪れるそうです。又、茨城県十二社(常盤神社・鹿島神宮・大杉神社・常陸國総社宮・茨城県護国神社・水戸八幡宮・水戸東照宮・吉田神社・大洗磯前神社・酒列磯前神社・筑波山神社・笠間稲荷神社)に数えられています。総門は江戸時代後期の建物で、入母屋、桟瓦葺き、三間一戸、八脚単層門、「豊穣」や「豊楽」の扁額が掲げられ、御幣が安置されています。

茨城県の神社山門
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