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 神社山門: 桜山神社

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桜山神社

桜山神社(岩手県盛岡市内丸)
【 概 要 】−桜山神社の創建は寛延2年(1749)に盛岡藩初代藩主南部信直の御霊を盛岡城の淡路丸(本丸東側)に勧請し社殿を造営したのが始まりとされます。明治時代に入り盛岡城が廃城になると、妙泉寺山に遷座し、明治10年に南部家の菩提寺のあった聖寿禅寺跡に遷座、明治33年に再び盛岡城に遷座し改めて社殿が造営されました。

【 場 所 】−岩手県盛岡市内丸

【 構 造 】−切妻、銅板葺、妻入、一間一戸

【 備 考 】−桜山神社の祭神である南部信直は第22代当主である南部政康の次男石川高信の庶長子として生れましたが、宗家となる第24代当主南部晴政に男子の子供を得る事が出来なかった為、娘の婿養子となりました。しかし、晴政に男子である晴継が誕生すると次第に対立関係となり、実父である石川高信が亡くなります(津軽家と南部家の資料によって死因が異なります)。

天正10年(1582)、記録にはないものの信直が反乱を起こしたと見られ、晴政と晴継の死去に伴い信直が第26代当主に就任しています。しかし、この就任の際にも一族間で異論が発生し、特に九戸氏が反発した事で内乱含みとなり、津軽家の独立を許す要因となっています。早くから前田利家と接触していた事から慶長18年(1590)の小田原参陣には比較的問題なく行われ、北条家が滅亡後には陸奥国内の7郡が安堵されています。

しかし、一族である九戸氏が宗家の家臣に組み込まれるを拒否し天正19年(1591)に九戸政実の乱が発生、信直は単独で解決する事が出来ず、奥州仕置軍を要請し、何とか平定して領内を統一しています。その後、和賀郡、稗貫郡の2郡が加増された事で本城である三戸城(九戸の乱終結後は本拠を九戸城に遷す)では領内北部に偏った為、盛岡城の築城が開始されました。慶長4年(1599)に死去、享年54歳。

桜山神社:動画

盛岡城:動画

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