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 神社山門: 諏訪神社

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諏訪神社

諏訪神社(新潟県新発田市)と新発田城

諏訪神社・新発田城:概要

諏訪神社(新潟県新発田市)は飛鳥時代に創建されたと伝わる神社です。詳細は判りませんが古代の城柵である渟足柵(推定地:新潟市)と磐舟柵(推定地:村上市)が築かれた際、多くの信濃国出身者が労働力として駆り出された為、信濃国で信仰の篤い諏訪大神(諏訪大社の祭神)が祭られるようになったと推定されます。これは日本書紀に記載されている「造渟足柵置柵戸老人等相謂之曰數年鼠向東行此造柵之兆乎」、「治磐舟柵以備蝦夷遂選越與信濃之民始置柵戸」の一文で、少なくとも磐舟柵には越(現在の北陸地方)と信濃(現在の長野県)之民が柵戸として配された事が判ります。柵戸とは城柵の営繕工事を担う一方で兵士でもあり、さらに自給自足を余儀なくされたので信仰の対象が必要だったとも考えられ、諏訪神社だけでなく、越前国一宮である気比神社(福井県敦賀市)の分社も新潟県には見られますが関係性は不詳、その後に勧請されたのかも知れません。

一方、鎌倉時代初期に越後国北部の地頭に就任した幕府の有力御家人である佐々木盛綱が諏訪宮を勧請したとの伝承があり、こちらの方がやや信ぴょう性が高いように感じます。その後はさらに時代が飛んだ戦国時代に佐々木盛綱の後裔の一族で新発田城の城主である佐々木因幡守治長が新発田市中曽根町に遷座させたそうです。佐々木因幡守治長は後の新発田重家の事で、御館の乱の際には上杉景勝(春日山城の城主)に与し勝利に大きく貢献したものの、恩賞が与えられなかった事で反乱を起こした事でも知られ新発田城が落城した際には諏訪神社も被災したかも知れません。

慶長3年(1598)に上杉景勝が:会津鶴ヶ城(福島県会津若松市)移封に伴い溝口秀勝が新発田城に配されると、新発田城は近世城郭へと改修、拡張工事が行われ、諏訪神社も慶長年間(1596〜1615年)に移転、その後も何度か移転を繰り返し江戸時代中期にようやく現在地に遷座しました。諏訪神社は新発田城の城主である溝口家にとって特別な神社であり、大きな庇護を受け繁栄しました。明治時代の廃藩置県により新発田藩が廃藩になると町民達が受け継ぎ、例祭も藩政時代に倣い現在も盛大に行われています。神社山門は平成13年(2001)の火事で焼失後に再建されたものですが、格式のある立派な建物で当時の繁栄が窺えます。

新潟県の神社山門
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魚沼神社(弥彦神社)
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