備中松山城: 三の平櫓東土塀

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備中松山城−三の平櫓東土塀
【 備中松山城(三の平櫓東土塀):概要 】 備中松山城の三の平櫓東土塀が何時頃建てられたのかは不詳ですが、「松山御城主歴代記」に江戸時代中期の天和元年(1681)から天和3年(1683)に当時の城主である水谷左京亮勝宗により今の城が成就した旨が記されている事から、概ねこの頃に建築されたと思われます。明治4年(1871)に備中松山藩は廃藩となり、松山城の多くの施設が払い下げられ、本丸の天守閣二重櫓も民間に買い取られましたが、所有者が松山城が余りにも高所にある為、解体費用とその後の用材の運搬費用が高額となりそのまま放置された事で奇跡的に破却を免れました。備中松山城には三の平櫓東土塀と厩曲輪土塀の2カ所が現存していますが三の平櫓東土塀の一部だけが国指定重要文化財に指定されています。

備中松山城三の平櫓東土塀は土造、本瓦葺き、延長9.4m(銃眼5カ所分)、壁面は白漆喰仕上げ。※写真だと石段部分全て土塀が廻っていますが、あくまで延長9.4m分が現存で、残りは現存部分を参考に復元されたものです。

【 場 所 】 三の平櫓東土塀:岡山県高梁市内山下

【 備 考 】 昭和16年(1941)5月8日:国指定重要文化財

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