meta name="keywords" content="岡山県,高梁市,備中松山城,二重櫓"> 備中松山城−二重櫓

 備中松山城: 二重櫓

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備中松山城−二重櫓
【 備中松山城(二重櫓):概要 】 備中松山城の二重櫓が何時頃建てられたのかは不詳ですが、正保年間(1644〜1647年)に描かれた「備中松山城城絵図」には二重櫓が描かれておらず、「松山御城主歴代記」に江戸時代中期の天和元年(1681)から天和3年(1683)に当時の城主である水谷左京亮勝宗により今の城が成就した旨が記されている事から、概ねこの頃に建築されたと思われます。明治4年(1871)に備中松山藩は廃藩となり、松山城の多くの施設が払い下げられ、本丸の天守閣や二重櫓も民間に買い取られましたが、所有者が松山城が余りにも高所にある為、解体費用とその後の用材の運搬費用が高額となりそのまま放置された事で奇跡的に破却を免れました。それでも、老朽が進み昭和初期には倒壊寸前となりましたが、昭和3年(1928)に地元有志の浄財により修理しました。

備中松山城二重櫓は木造2階建て、二重二階櫓、入母屋、本瓦葺き、桁行7.9m、梁間5m、高さ8.4m、外壁は大壁造り白漆喰仕上げ、腰壁は縦板張り、鉄砲や矢が利用出来る連子窓や石落としなどが設けられています。

【 場 所 】 二重櫓:岡山県高梁市内山下

【 備 考 】 昭和16年(1941)5月8日:国指定重要文化財

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