浅羽代官所(方丈): 油山寺

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浅羽代官所(方丈)−油山寺
【 浅羽代官所:概要 】 油山寺の方丈は江戸時代中期の宝暦14年(1764)に当時の代官である仁科宇兵衛が建築したもので、明治維新後に代官所が廃された事を受け、明治14年(1881)に油山寺に寄進、方丈として現在地に移築されました。建物は木造平屋建て、寄棟、桟瓦葺き、平入、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ。仁科宇兵衛がどの様な人物かは判りませんが、旧浅羽町長溝に鎮座する桑原神社の前身である八幡宮は長溝を開発した北信濃出身の仁科氏の一族が氏神として奉斎していたとの伝承が残されています。仁科氏と言えば、平安時代から豪族として長く北信濃を支配していましたが、武田信玄の信濃侵攻により没落し、名跡を継いだ信玄の5男仁科盛信も織田家の信濃侵攻により高遠城で討死したとされます。その仁科氏の一族が浅羽の地に逃れたのかも知れませんが、仁科氏が奉斎していたのは、熊野系の若一王子神社や伊勢神宮系の仁科神明宮、旧安曇族の祖神を祭った穂高神社なので、八幡神とは関係が薄いかも知れません。

【 場 所 】 油山寺:静岡県袋井市村松

【 備 考 】 昭和58年(1983)9月27日:静岡県指定文化財

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