掛川城(玄関下門): 油山寺

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掛川城(玄関下門)−油山寺
【 掛川城玄関下門:概要 】 油山寺の山門は棟札から江戸時代初期の万治2年(1659)の建築である事が明確で当時の城主井伊直好によって造営されました。大手二之門と呼ばれ、二之丸、三之丸を結ぶ丁度接点に配されていますが、大手一之門とはかなり離れており何故「大手」を冠に掲げているのかは不詳?確かに大手筋にはありますが、一之門との間には蕗の門もあり2番目にある門という訳でもないようです。その為、二之丸御殿入り口からやや下った場所にある事から「玄関下門」や「玄関下御門」などの別称があるようです。掛川城は江戸時代末期の安政元年(1854)の発生した安政東海地震で多くの建物が倒壊しその後再建されたものですが、大手二之門は江戸時代中期の享保18年(1713)に藩主小笠原長煕によって修理が行われているものの、江戸時代初期の姿を留めており大変貴重な存在と言えます。掛川城は明治2年(1869)に廃城となり、明治4年(1871)に廃藩置県が行われると多くの建物は払い下げとなり、大手二之門は明治6年(1872)に第7代掛川藩主太田資美の寄進によって祈願所だった油山寺の山門として移築される事になりました。形式は櫓門、二重入母屋造、本瓦葺(棟両端鯱付)、塗屋造(大壁造)、白漆喰仕上、桁行9.3m、梁間4.6m、上層部は25畳、下層部片側潜門付。

【 場 所 】 油山寺:静岡県袋井市村松

【 備 考 】 昭和29年(1954)9月17日:国指定重要文化財

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