魏略から考察する末蘆国

末蘆国

又度海千余里至末盧国 人善捕魚能浮没水取之

上記は「魏略」の一文で、現在は「翰苑」で残されています。意味としては、又、海を渡ること千余里で末蘆国の国境に至る。住民は魚を捕るのがうまく、海水に浮き沈みしながら捕獲しています。と訳せます。

魏略では「度」、魏志倭人伝では「渡」の字が採用されています。「度」には海を渡るという意味の他に「繰り返す」などの意味があり、魏志倭人伝では意識的に使い分けられているようです。

魏略、魏志倭人伝共に壱岐国からの渡海の距離は千余里で、文章上の到着点を末盧国の国境北端である東松浦半島の呼子(佐賀県唐津市呼子)と仮定すると、狗邪韓国対馬国の間と、対馬国〜壱岐国との間の距離と比べると同じ千余里でありながら圧倒的に短いのが判ります。東松浦半島の北端から、伊都国の都と思われる平原遺跡(福岡県唐津市)は東南東方向にあたり、「東南五百里到伊都国」に大凡合致します。しかし、渡海距離を他に近づけ唐津港付近に比定まると伊都国は北北東の方角となり「東南五百里到伊都国」とは異なる結果となります。基本的に対馬海峡の渡海距離は大きな差異があり、国境を定まるという意味合いからも呼子の方を是とした方が良いように感じます。

国の様子としては魏略、魏志倭人伝共に「海女」を彷彿させる表現が成され、現在でも呼子では海士(男の海女)の伝統が残り、佐用姫伝説では海女が登場しています。

魏略では記されていなものの、魏志倭人伝では戸数が4千余戸、前が見えない程に草木が覆っている道、魚や鮑を捕まえるのを好む、山や海、浜で暮らしている事が表現されています。

又、魏略、魏志倭人伝共に官の名前が記されていない事が特徴の一つで、末蘆国は伊都国の属国と考えている説が多いです。特に魏志倭人伝では国境毎の距離が示されていますが、末蘆国と伊都国の間には国境の距離を示していな事も、属国という説を補完しています。

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