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 神社山門: 三國神社

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三國神社

三國神社(福井県坂井市)
【 概 要 】−三國神社の創建は不詳ですが延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には式内社として記載された古社で古くから信仰されてきました。しかし、その後衰微し中世頃には信仰されなくなっていたいたそうです。天文9年(1540)に兵庫川に流れていた御神体を拾い上げ、天文13年(1544)に正智院の境内に小社を建立し祭られるようになりました。明治時代の神仏分離令により桜谷神社に改称し、その後、三國神社を称する事が許されています。

【 場 所 】−福井県坂井市三国町山王6丁目

【 構 造 】−入母屋、銅板葺、三間一戸、八脚楼門

【 備 考 】−三國神社は由緒上、継体天皇が崩御した際に創建され延喜式内社だった事を主張していますが、一般的には式内社として記載された三國神社は中世には既に廃絶したとされ、創建年やその経緯、祭神など全く分からず、どこに鎮座したのかも不詳です。社号から察すると、三国の地に鎮座し、地主神、又は三国国造の祖神と思われる三国神が祭られていた事が推察され、万葉集に記載されている「三国山 木末に住まふ むざさびの 鳥待つごとく 我れ待ち痩せむ」の「三国山」は現在の境内地である高台とする説もあります。資料的価値に疑問視されている「先代旧事本紀」の「国造本紀」によると三国国造は「成務朝の御世に、宗我臣の祖・彦太忍信命の四世孫の若長足尼を国造に定められた。」とあり、当地の支配者だったと思われる三国公の祖は若長足尼だったように読み取れます。一方、奈良時代に編纂された歴史書である「日本書紀」には継体天皇の皇子である椀子皇子が三国公の祖と記載されています。現在の三國神社は「日本書紀」の方を採用し、三国公が祖神である継体天皇を祭ったと想定しているようです。逆に「先代旧事本紀」が事実とすれば、孝元天皇や彦太忍信命、武内宿禰、若長足尼が祖神として祭られていたのかも知れません。奉斎者が三国公とすれば、本拠地があわら市瓜生、中川・坂井市丸岡町坪江、川上の横山古墳群(福井県指定史跡:5〜6世紀)周辺が想定される為、現在地よりもかなり内陸部にあった事が想定されます(横山古墳群の近くには式内社横山神社の比定社である横山神社が鎮座しています)。

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