歴史が感じられる川湊町の町並みを旅する

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大石田町・川湊町・町並み
□−大石田町−山形県大石田町

大石田町は戦国時代に山形城の城主最上義光の命により町割された川湊町です。江戸時代中期以降、日本海の西廻航路の開削や物流の活性化により最上川舟運の利用が増大すると、その最大の拠点となった大石田は大きく発展しました。明治時代中期以降衰微しましたが、現在も町並みには土蔵などが点在しています。
丸森町・川湊町・町並み
□−丸森町−宮城県伊具郡丸森町

丸森町は古くから伊達家と相馬家が争奪戦を繰り広げた戦略的な要衝の地で、丸森城の城下町と整備されました。江戸時代に入ると鳥屋館の城下となり、阿武隈川舟運の川湊町としても発展しました。特に、丸森から上流は川幅は川底の関係で小型船でしか行き交う事が出来なかった事から重要拠点として繁栄しました。「齋理屋敷」などが往時を忍ばせます。
関川宿・川湊町・町並み
□−下関宿−新潟県岩船郡関川村

下関宿は荒川舟運の最終湊の川湊町として繁栄した町です。特に米沢藩内の年貢米や特産物を大坂や京都に運ぶ経路として重要視され、中でも豪商、大地主として名を馳せた渡辺家は米沢藩の藩政を大きく助けた事から勘定奉行格として名字帯刀を許されていました。現在でも渡辺家住宅や佐藤家住宅、津野家住宅などの古民家が残されています。
津川宿・川湊町・町並み
□−津川宿−新潟県東蒲原郡阿賀町

津川宿は越後街道の宿場町であると同時に阿賀野川の川湊町でした。江戸時代には会津藩に属し、津川宿の上流に一部難所があり舟運船が通過出来なかった事から、津川湊で荷物の積み替えが行われ陸路で難所を越えて、再び舟運船を利用しました。この地形的な背景から津川宿は阿賀野川舟運最大の川湊町として大きく発展しました。
高岡市吉久・川湊町・町並み
□−吉久−富山県高岡市吉久

高岡市吉久は小矢部川と庄川の両川の河口に位置し両川の川湊町として発展しました。江戸時代は加賀藩に属し、砺波郡と射水郡から産出された年貢米を集積した事から、町には吉久詰米奉行所、御蔵など藩の施設が設けられ重要視されました。現在でも能松家住宅や有藤家住宅など良好な町屋建築が現存し、伝統的な町並みを見る事が出来ます。
愛知県津島市・川湊町・町並み
□−津島−愛知県津島市

津島は木曽川、長良川、揖斐川の河口に位置し、それぞれの舟運の湊が合わさる当地域最大の川湊町でした。全国に広がる津島信仰の本社である津島神社の門前町でもあり、織田信長も見物したという尾張津島天王祭は国の重要無形民俗文化財に指定されています。江戸時代には佐屋街道の宿場町で、渡しの拠点にもなっています。
 
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