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 神社山門: 高照神社

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高照神社

高照神社(青森県弘前市高岡)

高照神社(青森県弘前市高岡)

高照神社(青森県弘前市高岡)

【 概 要 】−高照神社の創建は正徳元年(1711)、弘前藩4代藩主津軽信政の菩提を弔う廟所と、祭神として祭る社殿が造営され(本殿は正徳2年建築)、信政の神号に因み高照社と名付けられた事が始まりとされる神社です。信政は神道に帰依していた事から神式での祭祀が執り行われ、以後、歴代藩主の崇敬社となり庇護されました。社殿や祭祀は藩費が捻出され、壮麗な社殿が次々と造営され、その殆どが国指定重要文化財に指定されています。社宝も置く、現在でも多くの文化財を所有しています。

【 場 所 】−青森県弘前市高岡神馬野

【 構 造 】−切妻,銅板葺,三間一戸,八脚単層門・平唐門,銅板葺き,一間一戸・切妻,一間一戸,四脚門,国重文

【 備 考 】−津軽家の本城である弘前城の城下町は地方の5万石(幕末の高直しで10万石)程度の大名の本拠地にしては異常とも言える程に充実しています。一方、津軽地方には中世の客観的な資料となる古文書が圧倒的に不足し、どの様な歴史を歩んできたのかは状況証拠や想像力が必要で、特に南部家と津軽家はお互い正当性を主張し家系図などを大きく創作した為、そこから事実を見出す事は大変困難となっています。個人的には津軽家は南部家からの独立を果たす為、相当な悪事を行ったと見られ、その後も豊臣家や徳川家に取り入る処世術を行っている事から、それらの行為を払拭する為にも壮麗な神社仏閣を必要としたような印象を受けます。特に、弘前城の城下町郊外に設けられた岩木山神社と高照神社は代表的な存在で、朱色で仕上げられた社殿群には目を見張るものがあり、城下町を見ても津軽家の菩提寺には黒漆塗りで仕上げられた霊廟建築が多数残され、東北地方の外様大名としては異例の天守閣(当初は五層、焼失後は三層)が認められています。藩主を祭る神社は明治時代以降、各地で盛んに創建されましたが、江戸時代中に創建される例は日光東照宮は例外としても高照神社の他、会津藩初代藩主保科正之の土津神社や長岡藩3代藩主牧野忠辰の蒼柴神社など例が少なく、同じ神道でも加賀藩主前田家や岡山藩主池田家、鳥取藩主池田家などは墓碑が神式の亀趺墓を採用し人里離れた霊地に墓域を構えていますが神社という形式は採用しなかったようです。

青森県の神社山門
櫛引八幡宮岩木山神社小田八幡宮高照神社
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