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 神社山門: 府八幡宮

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府八幡宮

府八幡宮(静岡県磐田市中泉)

府八幡宮(静岡県磐田市中泉)

【 概 要 】−府八幡宮は天平年間に桜井王により創建された古社です。延喜式神名帳で式内社御祖神社又は入見神社、又は須波若御子神社とされ格式の高い神社でした。中世に入ると足利氏や今川氏、徳川氏が庇護し、江戸時代には幕府から社領250石が安堵されました。随神門(神社山門)は江戸時代初期に建てられた貴重な建物で静岡県指定文化財に指定されています。

【 場 所 】−静岡県磐田市中泉

【 構 造 】−入母屋、こけら葺、三間一戸、八脚楼門・平唐門、銅板葺、一間一戸

【 備 考 】−府八幡宮の境内は遠江国の国分寺に隣接し、遠江国の国府にも差ほど離れていない所に位置しています。さらに、遠江国司である桜井王によって創建されたのにも関わらず遠江国一宮でも総社でも無く、境内や社殿の規模から見ると相当格式の高い神社のように察しますが実際はそれらの論社にもなっていません。一方、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載されている御祖神社や入見神社の論社で、境内には同じく式内社である須波若御子神社が鎮座していたとも云われています。創建者とされる桜井王は南北朝時代に後小松上皇の勅命で洞院満季が編纂にあった「本朝皇胤紹運録」によると天武天皇の曾孫、平安時代初期の弘仁6年(815)に、嵯峨天皇の勅命で編纂された「新撰姓氏録」によると百済王(敏達天皇の皇孫)の後裔とされます。又、日本に現存する最古の和歌集である万葉集には遠江守桜井王が聖武天皇に送った歌「九月のその初雁の使にも思ふ心は聞こえ来ぬかも」が収録されている事から、桜井王は実在の人物で遠江守(国司)だった事が明白になっています。桜井王が氏神として創建したのならば本来、天武天皇や百済王、敏達天皇などの祖神や、後に住民達が顕彰により桜井王を祭神になる例が多いはずですが、府八幡宮はその何れでも無く何故八幡神を勧請する必要性があったのかは判りませんでした。かと言って御祖神社や入見神社の関係性もいまいちしっくりこないところで、そう言う意味では国分寺が神仏習合化した際に鎮守社として八幡神が勧請されたと考える方が無難なのかも知れません。しかし、後継寺院である参慶山延命院薬師国分寺の本尊は薬師如来である事から、八幡神の本地仏である阿弥陀如来と異なっています。一方、南北朝時代に府八幡宮の神官となった秋鹿氏の数代前には鎌倉幕府4代将軍藤原頼経に仕え一族に列した藤原(橘)朝慶がいる事から源氏とは関係が深い一族ではあります。

静岡県の神社山門
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