富山県・高岡市伏木・気多神社

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【 概 要 】−気多神社は養老2年(718)に行基によって創建されたとも、天平4年(732)に気多大社石川県羽咋市)の祭神を勧請し創建したとも云われています。又、当初は気多大社が越中国一宮でしたが、天平宝字元年(757)に能登国が越中国から分立した為に、気多大社が能登国の一宮となった為、改めて分霊が越中国府に近い現在地に勧請され、越中国一宮として気多神社が創建したとも云われています。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には名神大社として記載されているものの、それ以前に編纂された六国史には全く記載されていない事からも10世紀前半頃に創建したのかも知れません。その為、元々、越中国二宮で、能登国が分立後、越中国の事実上の一宮だったと思われる射水神社とはどちらが正式な一宮だったのかで争いが起きています。その他に、越中国府が礪波郡に移ると、礪波郡で最高位だった高瀬神社、高瀬神社が荒廃後は雄山神社がそれぞれ越中国一宮を自称しています。気多神社は古くから神仏混合し境内には七堂伽藍が整備され壮大だったとされますが寿永2年(1183)に木曽義仲の兵火により焼失、室町時代に別当の慶長寺が再建しましたが天文年間(1532〜1554)に上杉謙信(春日山城の城主)の兵火により再度焼失しています。江戸時代に入ると歴代加賀藩(本城:金沢城)主前田家の祈願所となり天保2年(1645)に前田利常により社殿が再建され、慶安3年(1650)には社領が寄進されています。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され、本地仏は旧国分寺跡に建立された薬師堂に移し神社として独立し明治6年には郷社に列しています。現在の気多神社本殿は永禄年間(1558〜1569)に再建されたと伝えられているもので三間社流造り、こけら葺、1間向拝付き、室町時代に建てられた神社本殿建築として大変貴重な存在で国指定重要文化財に指定されています。

気多神社(高岡市伏木):周辺の見所

気多神社 越中国分寺跡 万葉寺井の跡 雨晴岩(源義経縁の岩)

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