【高岡市山町筋】−高岡市の地は慶長14年(1609)に前田利長の隠居城として高岡城が築かれ、 その城下町として整備された町です。加賀藩(藩庁:金沢城)初代藩主前田利長は養子である前田利常(藩祖前田利家の4男)に藩主の座を譲ると富山城を隠居城としましたが、富山城が火災により焼失した為、一端、魚津城に移り、その間に高岡城を築城し完成と共に高岡城に移りました。利長が死去し一国一城が発令されると高岡城は廃城となりますが、城郭としての縄張りと城下町は維持され、その後は商人の町として発展しました。明治33年(1900)6月27日の高岡大火で多くの町屋が焼失しました、その後再建された町屋は防火、耐火に対して特別な注意を払った為、土蔵造りや瓦葺、袖壁、隣地境のレンガの防火壁などが設けられ、特異な町並みを形成しました。現在でも菅野家住宅(明治35年建築:国指定重要文化財)や筏井家住宅(明治36年:富山県指定文化財)、旧室崎家住宅(高岡市土蔵造りのまち資料館・高岡市指定文化財)、井波屋仏檀店(国登録有形文化財)、富山銀行本店(大正12年)、塩崎家住宅(明治42年)など多くの町屋建築が軒を連ね、中でも良好な町並みが残されている山町十か町(御馬出町、通町、守山町、木舟町、小馬出町、一番町、二番町、三番町、源平町及び坂下町)、面積約5.5ヘクタールは平成12年(2000)に名称「山町筋重要伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
【高岡市金屋町】−高岡市金屋町は山町筋と同様に高岡城の城下町として整備されたのが始まりとされ、 特に前田利長が砺波郡西部金屋から7人の鋳物師を招いて鋳物の町として町割されました。敷地内部も鋳物師の邸宅として独自な建物配置で火を利用する生業をしている為に特に防火、延焼、類焼に工夫が見られます。そのかいあってか、商家町と比べても火事が少なく、江戸時代の建物が数多く残される結果となりました。現在でも良好な町並みが見られる東西約140m、南北約450m、面積約6.4ヘクタールが「伝統的建造物群が全体として意匠的に優秀なもの」との選定基準を満たしている事から平成24年(2012)に名称「金屋町伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
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