白川郷(国指定重要文化財)

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白川郷:一覧

名 称
建築年
内 容
場 所
備 考
・和田家住宅
・主屋
・江戸末期・木造三階建、切妻、茅葺、平入
・桁行22.3m、梁間12.8m
・岐阜県
・大野郡
・白川村
・白川郷
・和田家は、白川郷荻町に屋敷を構え、村役人や牛首口留番所役人を歴任した家柄で、格式が高く名字帯刀が許されていました。建物は白川郷の伝統的な形式である合掌造りで意匠的にも優れ、座敷や玄関など身分の高さが伺えます。屋敷内には主屋や土蔵、便所の他、付属舎や融雪用池、石組水路、防風林、石垣などが残されています。和田家住宅は国指定重要文化財に指定されています。
・和田家住宅
・土蔵
・江戸末期・土蔵2階建、切妻、桟瓦葺
・桁行6.1m、梁間5.3m
・和田家住宅
・便所
・江戸末期・木造平屋建、切妻、茅葺、平入
・桁行7.3m、梁間4.3m
・和田家住宅
・土地
・−・附属建物や消雪用の石組溝
・旧遠山家住宅・文化10年・木造4階建、切妻、茅葺、妻入
・桁行22m、梁間13.3m
・岐阜県
・大野郡
・白川村
・白川郷
・旧遠山家住宅は白川郷を代表する大型合掌造りの古民家の遺構で、大家族制度(大正9年時点で31人)と養蚕や硝煙生産(明治20年まで生産が続けられた)に耐えうる平面構成が成されています。
・白川郷荻町・白川郷(岐阜県大野郡白川村)の歴史は古く、平安時代末期の安元2年(1176)に編纂された古文書の中に「飛騨国白川郷」の記載がある事から、比較的早くから中央にも認識されていた事が伺えます。地勢的にも似ている五箇山(富山県南砺市)同様に白川郷にも平家落人伝説が残され、大戸家(大戸家住宅はダム建設に伴い下呂温泉の合掌の里に移築。)はその末裔とされます。鎌倉時代に入ると浄土真宗の布教が始まり建長5年(1253)には嘉念坊善俊により正蓮寺(照蓮寺)が創建されました。室町時代に入ると内ケ島氏(8代将軍足利義政の命で室町時代中期に白川郷に入封。)が白川郷一帯を支配し、地勢学的優位性から長く独立を保っていましたが、天正13年(1586年)の天正地震により居城である帰雲城が跡形もなく崩壊し、主要な一族も運命を共にしました。その後は金森氏、江戸時代中期以降は天領となっています。五箇山にある菅沼集落や相倉集落と同様に、合掌造りの古民家で構成される茅葺屋根集落で、生業も養蚕や硝煙が主産業で大家族制度が長く保たれていました。白川郷荻町集落は、国重要伝統的建造物群保存地区の他、国指定史跡、ユネスコの世界遺産にも登録されています。

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