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 神社山門: 二宮赤城神社

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二宮赤城神社

二宮赤城神社(群馬県前橋市二之宮町)
【 概 要 】−二宮赤城神社の創建は不詳ですが、古くから格式の高い神社で、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳では名神大社と記載され上野国二宮に格付けられました。ただし、赤城神社の本社は三夜沢・大洞・二宮の三社がそれぞれ自称し現在も決着は着いていません。当地周辺には上野国造と関係が深いと思われる大型古墳が点在している事から、当時の上野国の中心部と推定され、信仰の中心だった赤城神社の本社又は遥拝所として創建されたと思われます。境内には神仏習合時代の随神門(神社山門・仁王門)や鐘楼、宝塔など仏教色の強い建造物が残されています。

【 場 所 】−群馬県前橋市二之宮町

【 構 造 】−切妻、銅板葺、三間一戸、八脚単層門

【 備 考 】−赤城神社は所謂「六国史」で高い神位を授けられ、「延喜式神名帳」では格式の高い名神大社として記載されていますが、その赤城神社を巡って三夜沢赤城神社・大洞赤城神社・二宮赤城神社の三社がそれぞれ自称して未だに決着には至っていません。それも、赤城神社を冠とする神社は全国で300社以上あるとされ、その本社という名誉、格式を一身に受ける訳ですから無理からぬ事ではあります。二宮赤城神社側から見ると、赤城山を御神体とする祭祀施設で中腹にある「櫃石」の遥拝所と目され、「櫃石」の真南で創建当時の上毛野国造の本拠地付近に位置しています。そう言う意味では神社として体裁を整え成立したのは二宮赤城神社が最初の可能性がありますが、安閑天皇元年(534)に発生した武蔵国造の乱がヤマト王権により平定されると、奉斎者と思われる上毛野国造の勢力が急速に衰退し当社も衰微したと思われます。よって、古代の赤城神は解釈によって、赤城山自身とすれば「大洞」、最初の祭祀施設としたら「櫃石」の近くにある「三夜沢」、神社としての成立年としたら「二宮」という事になります。

群馬県の神社山門
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