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 神社山門: 上野國一社八幡宮

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上野國一社八幡宮

上野國一社八幡宮(群馬県高崎市)

上野國一社八幡宮(群馬県高崎市)

【 概 要 】−上野國一社八幡宮は天徳元年(957)、石清水八幡宮(京都府八幡市)から分霊を勧請して創建した古社です。当時、八幡宮は1つの国に1社のみ認められていた事から上野国一社八幡宮とも呼ばれました。源氏縁の神社だった事から、源頼義や源頼朝、その後裔とされる新田氏、足利氏、武田氏、徳川氏から崇敬庇護されました。古くから神仏習合し明治時代の神仏分離令により神社となりましたが、境内には仁王門(随神門・神社山門)や本地堂、鐘楼など仏教色の強い建物が名称を変え残されています。

【 場 所 】群馬県高崎市八幡町

【 構 造 】−切妻、銅板葺、三間一戸、八脚単層門・切妻、鉄板葺き、三間一戸、八脚単層門

【 備 考 】−一国一社八幡宮の定義は曖昧で、一般的に全国に設置された国府や国分寺の鎮守社として創建された八幡神を祭る神社の総称なようです。特に天正13年(741)に聖武天皇が不安定な国情を憂い、仏教の力により国家安寧を導く為に全国に国分寺・国分尼寺の創建を計画、その総本山である東大寺の鎮守社として宇佐八幡宮の分霊を天平勝宝元年(749)に勧請して手向山八幡宮を創建した事を習ったとも云われています。

国府の隣地に国分寺が境内を構える例が多い事から必然的に八幡宮は国府に近く、国府八幡宮や府八幡宮と呼ばれる例もあります。これらの事から察すると上野國一社八幡宮は上野国府から離れ、創建年も由緒が正しければ国分寺が創建されてから200年余り後に勧請された事になり大きく異なります。

一方、国府八幡宮とも呼ばれた前橋八幡宮は貞観年間(859〜877年)に在原業平の子孫とされる長野業重によって創建されたと伝えられており、事実とすれば上野国府が前橋市元総社町にあった事から前橋の方が有力かも知れません。

上野國一社八幡宮:動画

群馬県の神社山門
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