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 神社山門: 笹森稲荷神社

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笹森稲荷神社

笹森稲荷神社(群馬県甘楽郡甘楽町)
【 概 要 】−笹森稲荷神社は当地域では最大級の前方後円墳(全長100m、。前方部は幅約65m、高さ約9m、後円部は径が約60m、高さ約8m)である笹森古墳(群馬県指定史跡)に鎮座する神社で、天長2年(825)に創建されています。領主だった小幡藩摩守や小幡藩主だった織田家から崇敬庇護され社領の寄進や神楽の奉納などが行われています。例祭に行われる露店市は関東屈指とも言われ多くの養蚕農具桑苗雑貨の露天が出店します。

【 場 所 】−群馬県甘楽郡甘楽町福島

【 構 造 】−入母屋、桟瓦葺、三間一戸、八脚楼門

【 備 考 】−笹森稲荷神社の別当寺院だった稲荷山東学院の境内は小幡陣屋の前身となる陣屋が設けられた地とされ、正保2年(1645)に小幡藩2代藩主織田信昌が領内に赴任する事を許され小幡陣屋に移るまで小幡藩の行政の中心的な存在でした。この間、織田家が領内に入る事はなかったと思われますが、陣屋に近かった笹森稲荷神社が領内の信仰の中心的な存在として認識され、特に寛永2年(1625)に信昌が誕生した際には何らかな祈願が行われたと思われ、以後、織田家の祈願所として庇護されています。稲荷山東学院は元和9年(1623)に法印によって開かれた真言宗智山派の寺院で、笹森稲荷神社の別当寺院として織田家からも庇護を受けています。寺宝である織田氏家臣録は宝永3年(1753)に笹森稲荷神社の神輿の製作費を勧進する為に当時の別当である祐廣上人が尽力し協力した氏名を書き綴ったもので、6代藩主織田信右以下、家臣、足軽、医師など総勢220名が記されています。織田氏家臣録には上記の他、笹森稲荷神社の由緒や小幡藩時代の織田家に起こった事象も綴られている貴重なもので昭和44年(1969)に甘楽町指定重要文化財に指定されています。

群馬県の神社山門
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