石川県の神社山門

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石川県神社山門:一覧

名 称
建築年
内   容
場 所
備 考
・尾山神社・明治8年尾山神社の前身である卯辰八幡社の創建は慶長4年(1599)、前田利長の崇敬社だった物部神社(富山県高岡市)の境内に祭られていた八幡社の分霊を勧請し、密かに前田利家の御霊を合祀したのが始まりとされます。明治6年(1873)に前田利家の御霊が現在地に遷座し尾山神社となり、卯辰八幡社は宇多須神社に社号を改めています。尾山神社は明治8年には洋風建築の技術が導入された当時としては斬新な神社山門が建立され話題になったそうです。石川県
金沢市
・尾山町
国重文
・尾崎神社・寛永20年尾崎神社は寛永20年(1643)、加賀藩3代藩主前田光高が金沢城の城内に東照宮(徳川家康)の分霊を勧請し社殿を造営し創建しました。以来、歴代加賀藩主前田家が庇護し社領120石が安堵しました。当初から神仏習合し、東叡山の常照院が祭祀を司り、後に出雲寺が別当寺院となりました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が排除され出雲寺の住職は還俗して尾崎神社の神官となっています。軍により金沢城が接収させると現在地に遷座しています。・石川県
・金沢市
・丸の内
国重文
・小松天満宮・明暦3年小松天満宮は明暦3年(1657)、前田利常が隠居城として小松城を整備した際、城の北東に当たる当地に前田家の氏神である菅原道真の分霊を勧請し城の鬼門鎮守にしたのが始まりとされます。境内は本社である北野天満宮に模した構成で造営され社殿も加賀藩の藩費によって賄われています。小松天満宮は、歴代藩主から崇敬庇護され社領100石が安堵されるなど社運も隆盛しています。・石川県
小松市
・天神町
国重文
・赤倉神社・宝暦11年赤倉神社の創建は推古天皇の御代に勧請されたと伝わる古社で、古くから神仏習合し別当寺院である一本宮寺が祭祀を司ってきました。往時は赤倉山の山内に120坊余を数える程寺運が隆盛し、一大勢力となりました。戦国時代に兵火により衰退しましたが、その後再興され、明治維新後には赤倉神社に社号を改めています。・石川県
七尾市
・三引町
 
・気多大社・天正12年気多大社は崇神天皇の御代、能登国を開発したとされる大己貴命の分霊を勧請したのが始まりとされます(能登生国玉比古神社から分霊が勧請されたとも)。気多大社は古くから格式が高く、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には登国唯一の名神大社として記載されていました。能登国一之宮として国の祭祀を司り、律令制が崩壊後も歴代領主が崇敬庇護し、江戸時代には加賀藩主前田家より社殿が造営されました。・石川県
羽咋市
・寺家町
国重文
・菅生石部神社・文政9年菅生石部神社は用明天皇の御代に中から菅生石部神の分霊を勧請し創建された古社で加賀国二之宮の格式を持ちました。菅生石部神社は延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳でも式内社として記載され、歴代領主からも崇敬庇護されました。江戸時代に入ると大聖寺藩の藩主前田家が庇護し、明治時代には国弊小社に列しています。・石川県
加賀市
・大聖寺
市指定
・白山比盗_社・−白山比盗_社は古くから格式が高く加賀国一之宮として信仰を広めました。戦国時代に一向一揆の台頭により衰微しましたが、その後に領主になった前田利家によって再興され、江戸時代を通して加賀藩前田家から庇護されました。白山比盗_社は明治時代に入り白山信仰の本社に認定されています。・石川県
白山市
・三宮町
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