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 神社山門: 赤倉神社

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赤倉神社

赤倉神社(石川県七尾市三引町)
【 概 要 】−赤倉神社の創建は推古天皇の御代に勧請されたと伝わる古社で、古くから神仏習合し別当寺院である一本宮寺が祭祀を司ってきました。往時は赤倉山の山内に120坊余を数える程寺運が隆盛し、一大勢力となりました。戦国時代に兵火により衰退しましたが、その後前田家の家臣で当地の領主である長氏により再興され、明治維新後には赤倉神社に社号を改めています。

【 場 所 】石川県七尾市三引町

【 構 造 】−切妻、桟瓦葺、三間一戸、八脚単層門

【 備 考 】−御神体となる赤倉山(標高:178m)は古くから自然崇拝の対象となった霊山で、特に中腹に位置する「御手洗池」は清らかな清水が湧き出る聖地として知られています。現在の赤倉神社の由緒は江戸時代に成立したものなので創建伝説の真偽は判りませんが、中世は赤蔵大権現を奉斎する赤蔵寺として神仏習合していました。南北朝時代には足利尊氏方に与した吉見氏頼に協力し、対立関係だった足利直義方の桃井氏の軍勢と交戦した事が資料に残されています。「得江文書」の「得江石王丸代長野彦三郎家光申軍忠事」によると「右今年八月十八日、吉見参河守殿、當國三引保赤蔵寺被楯籠間、桃井刑部大輔直信以下凶徒押寄當陣、終日戰也、凡及御方難儀之間、爲後攻、將軍家御方、九月十六日、同國自大津長左衛門尉秀信打出間、屬家光被手、取三引保内曲松要害之處、凶徒等來當陣、日々合戰致無貳軍忠訖、・・・・」とあり、当時の情勢が記されています。明治時代の神仏分離令と廃仏毀釈により形式上は仏教色が排され、赤倉神社に改められましたが、現在でも赤蔵山には当時の堂宇の跡地や、石段などが残され、平成3年(1991)に石川県指定史跡に指定されています。

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