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 神社山門: 菅生石部神社

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菅生石部神社

菅生石部神社(石川県加賀市大聖寺)
【 概 要 】菅生石部神社は用明天皇の御代に中から菅生石部神の分霊を勧請し創建された古社で加賀国二之宮の格式を持ちました。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳でも式内社として記載され、歴代領主からも崇敬庇護されました。江戸時代に入ると大聖寺藩の藩主前田家が庇護し、明治時代には国弊小社に列しています。

【 場 所 】石川県加賀市大聖寺敷地ル乙

【 構 造 】−入母屋、銅板葺、三間一戸、八脚楼門

【 備 考 】−菅生石部神社は白山比盗_社に次ぐ加賀国二之宮で弘仁14年(823)に立国した当初は江沼郡と加賀郡の2郡しか無かった事から当社は江沼郡の中で最も格式の高い神社だった事が判ります。又、境内が自然崇拝の対象地とは想定しにくい事から当社は江沼国造が祖神を祭る為に創建されたという説が成り立ちます。資料的価値が疑問視されている「先代旧事本紀」の「国造本紀」によると江沼国造は「反正朝の御世に、蘇我臣と同祖・武内宿禰の四世孫の志波勝足尼を国造に定められた。」とあります。一方、奈良時代に編纂された「古事記」によると武内宿禰の末子若子宿禰は江野財臣の祖とされ、平安時代初期に編纂された「新撰姓氏録」によると江沼臣の祖と記載されています。この事から察すると、江沼臣の祖である武内宿禰や若子宿禰が祭られていてもおかしくないのですが、実際は天津日高日子穗穗出見命、豐玉毘賣命、鵜葺草葺不合命の3柱が菅生石部神として祭られています。又、社号から石部氏の一族が祖神を祭ったとも考えられ、石部神は石部神であって元々上記の3柱では無かったのかも知れません。石部氏と江沼臣との関係は判りませんが同じ神を奉斎していたような印象を受けます。

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