三国街道(歴史の道百選): 三国峠

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三国街道(歴史の道百選)・三国峠(群馬県みなかみ町)
【 三国峠:概要 】 三国峠は越後国、上野国、信濃国の三国に跨る標高1636mの三国山に連なる事から名づけられた峠で、三国街道最大の難所でした。三国峠は戦国時代に上杉謙信が関東進出の為に開削したのが始まりとされ、明治時代以降は新路が整備された為、現在でも旧街道の形状が良く残されています。峠の頂上部には、越後国一宮で弥彦神社新潟県弥彦村)の祭神と、上野国二宮である赤城神社群馬県前橋市)の祭神(上野国一宮は貫前神社群馬県富岡市)ですが、元々は赤城神社貫前神社が進出するとその座を譲ったとの伝説が残されています)、信濃国一宮である諏訪大社(長野県諏訪市・下諏訪町・茅野市)の祭神を合祀した三国権現(三坂神社)が鎮座しています。街道沿いにはその他にも、「三国権現御神水」や、三国街道を利用中に亡くなった馬を弔う為に設けられた「馬頭観音」、元文5年 (1740) 峠越えの最中に雪崩に巻き込まれなくなった長岡藩士7名を弔う為に設けられた「長岡藩士の墓」、与謝野晶子が三国峠を利用した際に喉を潤したと伝わる「晶子清水」、平安時代に征夷大将軍となった事でも知られる坂上田村麻呂の後裔と伝わる田村家が営んだ「三坂茶屋跡」、江戸時代中期の宝暦3年(1753)に三国峠で妖怪が出没し、その為に亡くなった旅人を弔い、妖怪を封じる為に建立された「大般若塚」などがあります。
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