大慈寺: 楼門

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大慈寺(青森県・八戸市糠塚)

大慈寺(青森県・八戸市糠塚)概要: 大慈寺(糠塚)は松館に境内を構える大慈寺の八戸城下の出張寺として延宝8年(1680)に明岩幡察和尚によって創建された寺院です。当初は小規模でしたが、八戸城の城下町の方が利便性が良く参拝者も多くなった事から江戸時代後期には16世文要和尚によって現在地に本格的な境内整備が行われ堂宇も造営されました。明治8年(1885)に宿寺禁止令の発布に伴い糠塚の方が本寺として独立し、松館の方も引き続き本寺として存続していましたが、明治時代中期には糠塚の大慈寺の方が本寺となり立場が名実共に逆転しています。山門は江戸時代後期に建てられたもので、入母屋、鉄板葺、三間一戸、八脚楼門、外壁は真壁造り素木板張り、入口上部は琴柱火燈の形式、上層部の両側には花頭窓、高欄付、上層部には十六羅漢像、下層部両側には仁王像が安置されています。大慈寺は建築年代が明確で意匠的にも優れている事から八戸市指定文化財に指定されています(境内には経堂も残され楼門と同様に八戸市指定文化財)。

八戸城−八戸城は寛文4年(1664)の南部家の御家騒動により、寛文5年(1665)に南部直房(中里数馬:盛岡藩初代藩主・南部利直の7男)が盛岡藩から独立し2万石で八戸藩を立藩、その藩庁、藩主居館が設けられた城郭です。八戸藩は独立した藩でしたが、当初は盛岡藩の支藩のような印象が強く、2代藩主南部直政が5代将軍徳川綱吉の側用人になった事から広く認められる存在となっています。八戸城も当初は陣屋扱いでしたが、天保9年(1838)に8代藩主南部信真が城主格に昇進した事により正式に八戸城が城郭として認められ、拡張整備されています。八戸城は城から見て南方に位置する長者山を八戸城の出城として見立てていたようで、山頂には長者山新羅神社(八戸藩奥南鎭守に定められた南部家の祈願所で、南部家の祖である新羅三郎義光命(源義光)の御霊が勧請合祀されています)、麓には藩主の菩提寺である南宗寺や古刹である光龍寺、禅源寺などが配され、その一角に大慈寺が境内を構えています。

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