青森県の楼門建築2

  全国の観光と歴史的建築物(ホーム)全国の楼門:建築>青森県2
名 称
内   容
場  所
・対泉院○対泉院は南北朝時代に南部家の家臣新田氏によって山梨県倉見山に創建した寺院です。明徳4年に根城南部氏が本拠を根城(青森県八戸市)に移すと対泉院も従い、さらに江戸時代初期に遠野(岩手県遠野市)に移封になると同様に従った為、当地の対泉院の境内は荒廃します。その後、盛岡藩主南部利直によって再興されています。山門は江戸時代後期に建てられたもので、入母屋、銅板葺、三間一戸、八脚楼門、八戸市指定文化財に指定されています。

対泉院の楼門写真はこちら

対泉院:動画

・青森県
・八戸市
・蓮乗院○蓮乗院は猿賀神社の別当寺院の1つとして創建された寺院です。明治時代の神仏分離令後に多くの別当寺院が廃寺になる中、東光院と蓮乗院だけが残され寺院として独立しました。寺宝が多く一光三尊来迎阿弥陀如来像と御領分中御山絵図、津軽藩造林元帳及び留帳が平川市指定文化財に指定されています。山門は入母屋、鉄板葺、三間一戸、八脚楼門。

蓮乗院の楼門写真はこちら

蓮乗院:動画

・青森県
・平川市
・浄円寺山門は切妻、桟瓦葺き、三間一戸の八脚楼門・青森県
・つがる市
・円覚寺○円覚寺は大同2年に坂上田村麻呂が創建したと伝わる古寺です。泰澄大徳の高弟である円覚法印が再興し、修験道色が濃い寺院として発展しました。歴代領主から帰依され藤原氏家や葛西頼清が堂宇を再建し、藤原基衡が厨子(国指定重要文化財)を奉納しています。江戸時代に入ると弘前藩主津軽家から庇護され寺領の安堵や堂宇の造営、寺宝の寄進が繰り返されました。又、境内地である深浦湊は領内有数の湊であった事から、北前船などの海運業者や漁業関係者が信仰の対象となり、多くの舟絵馬など「円覚寺奉納海上信仰資料」として国指定重要有形民俗文化財に指定されています。山門は入母屋、銅板葺、三間三戸、八脚楼門。

円覚寺の楼門写真はこちら

円覚寺:動画

・青森県
・深浦町
・恐山菩提寺○恐山菩提寺は慈覚大師円仁によって創建された古寺です。恐山は古くから神聖視された霊地で、下北半島の住民からは死んだら、御霊が恐山に集まり成仏するまで留まると信仰され、その御霊はイタコを通して口寄せ出来るという独特の風習が生まれました。その後、祖霊信仰と地蔵信仰が習合し、根城南部氏や盛岡藩主南部氏が庇護しました。民俗的にも独特だった事から民俗学の祖ととも云われる紀行家菅江真澄も度々恐山を訪れ、当時の様子を文書に残しています。山門は入母屋、本瓦葺、五間三戸、12脚2重楼門。

恐山菩提寺の楼門写真はこちら

恐山菩提寺:動画

・青森県
・むつ市
・大円寺○大円寺は延暦年間に坂上田村麻呂によって創建された古寺です。当初は阿闍羅山山頂に境内を構えていましたが、建久2年に円智上人によって蔵館に移し、室町時代初期には足利尊氏が制定した全国各国一宇ずつ設けた安国寺に選定され寺院も隆盛しました。江戸時代に入ると弘前藩主津軽家が庇護し堂宇の造営が行われました。当時は高伯寺と称していましたが、明治時代に神仏分離令により弘前城下を追われた大円寺が高伯寺の境内に移り、寺号を「大円寺」に改めています。山門は入母屋、銅板葺、三間一戸、八脚2重楼門。

大円寺の楼門写真はこちら

・青森県
・大鰐町
スポンサーサイト

青森県1岩木山神社宗徳寺長勝寺|大慈寺(松館)|大慈寺(糠塚)
青森県2対泉院蓮乗院円覚寺恐山菩提寺大円寺

※ 当サイト「全国楼門建築」は資料や案内板、パンフレットなどを参考にして編纂していますが、個人的な意見も含まれている為、最終確認は自らの責任により最終確認してください。又、写真や文章のコピーは遠慮してください。