長勝寺(弘前市): 楼門

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長勝寺(青森県・弘前市)

長勝寺(青森県・弘前市)概要: 長勝寺は室町時代の享禄元年(1528)に大浦光信の菩提を弔うために創建した寺院です。大浦光信は南部家の一族である久慈家出身で津軽家の祖とも云われる人物とされ、延徳3年(1491)に津軽一帯を支配していた安東氏を押さえる為に津軽西浜(西津軽郡鰺ヶ沢町)の種里城に配され大永6年(1526)に種里城で没し城内に埋葬されました。長勝寺は当初、種里城の城内に境内を構えていましたが、弘前城が築城されると、現在地に移され、大浦氏の後裔である津軽家の菩提寺の1つとして江戸時代を通して庇護されました。津軽家の菩提寺は長勝寺以外には弘前藩初代藩主津軽為信の革秀寺(青森県弘前市藤代)と3代目以降の墓碑が建立された報恩寺(青森県弘前市新寺町)があります。長勝寺の境内地は弘前城の裏鬼門であると同時に出城としての防衛機能を備える要地で長勝寺が重要視されていた事が窺えます(周辺には曹洞宗の寺院が集められ禅林街が町割されています)。境内には5棟の津軽家御霊屋(霊廟建築:国指定重要文化財)や本堂(国指定重要文化財)、庫裏(国指定重要文化財)、御影堂(附厨子及び須弥壇:国指定重要文化財)など古建築物や津軽家縁の寺宝を多数所有しています。三門は江戸時代初期の建物で入母屋、とち葺、三間一戸、八脚楼門、下層部正面左右には花頭窓付、上部部には高欄付、国指定重要文化財に指定され、境内全域は津軽氏城跡を構成する「長勝寺構」として国指定史跡に指定されています。

種里城−種里城は室町時代後期に、南部家の一族である南部光信によって築かれた中世の山城で、光信は大浦姓に改称し大浦城(青森県弘前市賀田・五代)を築くと、実子、又は養子とも云われる大浦盛信を城主とし、自分は種里城で采配し大きく版図を広げました。光信が死去すると盛信によって種里城に長勝寺が創建され甲冑をまとったまま埋葬されたと伝えられています。盛信の後は子供又は養子の政信、さらにその後は政信の嫡男為則、その後は娘婿の為信が跡を継ぎ、為信の代で津軽地方の大部分を掌握し近世大名の基礎を築き、津軽姓を名乗るようになります。ただし、為信は豊臣家から独立した大名に認められる為、家系図を大きく改変した可能性が非常に高くどこまでが本当の事なのかは不詳。それでも、光信を津軽家の祖と掲げ、光信が埋葬された種里城を津軽の聖地として江戸時代を通して墓守が管理を行い、墓域周辺は草1本も生えなかったと云われています。種里城の跡地は国指定史跡に指定されています。

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