群馬県の神社山門3

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名 称
建築年
内   容
場 所
備 考
・笹森稲荷神社・明和8年笹森稲荷神社は当地域では最大級の前方後円墳(全長100m、。前方部は幅約65m、高さ約9m、後円部は径が約60m、高さ約8m)である笹森古墳(群馬県指定史跡)に鎮座する神社で、天長2年(825)に創建されています。領主だった小幡藩摩守や小幡藩主だった織田家から崇敬庇護され社領の寄進や神楽の奉納などが行われています。例祭に行われる露店市は関東屈指とも言われ多くの養蚕農具桑苗雑貨の露天が出店します。・群馬県
・甘楽町
・笹森
 
・貫前神社寛永12年貫前神社は安閑天皇元年(531)に物部姓磯部氏が氏神である経津主神を祭り創建したという古社です。延喜式神名帳では名神大社として記載、上野国筆頭の一宮とされ国事の祭事を司る格式を持ちました。貫前神社は歴代領主や為政者から崇敬庇護され、特に江戸時代には徳川将軍家から特別な配慮があり3代将軍徳川家光と5代将軍徳川綱吉が壮麗な社殿を造営し現在もその姿を留めています。貫前神社は明治時代までは神仏習合し境内には三重塔や観音堂など多くの堂宇が建立されていましたが、明治の神仏分離と廃仏毀釈により仏教色が強いものは排除され現在の姿となっています。・群馬県
・富岡市
・一ノ宮
国重文
・妙義神社・安永2年妙義神社は6世紀に波己曽大神を御迎えし創建しました。境内である妙義山は古くから信仰の山として知られ、山岳信仰や修験道の拠点として発展し、神仏習合しました。特に江戸時代になると別当寺院だった石塔寺が徳川将軍家の菩提寺である東叡山寛永寺の末寺になった事で徳川将軍家の庇護となり、領主である七日市藩主前田家も祖神である菅原道真が祀られていた事から信仰の対象としました。明治の神仏分離と廃仏毀釈により仏教色が一掃され、改めて日本武尊を勧請して妙義神社に社号を改めています。・群馬県
・富岡市
・妙義町
国重文
・青梅天満宮 青梅天満宮は延喜元年(901)に菅原道真が大宰府(福岡県太宰府市)に左遷にされた際、4本の梅の枝を投げ全国の4つの霊地に根付いた場所の1つとされます。4つの霊地はそれぞれ花久里梅(菅原天満宮)、飛梅(太宰府天満宮)、四季梅(綱敷天満神社)、青梅(青梅天満宮)とされ「日本四社」を掲げています。・群馬県
・館林市
・本町
 
・玉村八幡宮 玉村八幡宮は源頼朝が建久6年(1195)に家臣である安達藤九郎盛長(上野奉行)に命じて創建させたのが始まりとされます。当初は角渕の地に鎮座していましたが慶長15年(1610)に現在地に遷座しています。玉村八幡宮は江戸時代は前橋藩主酒井家から崇敬庇護され社殿の改修などが行われ、徳川将軍家からは社領30石が安堵されていました。明治時代の神仏分離令により別当寺院だった神楽寺と分離し村社、後に県社に列しました。・群馬県
・佐波郡
・玉村町
 
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群馬県1二宮赤城神社三夜沢赤城神社産泰神社総社神明宮榛名神社
群馬県2上野國一社八幡宮山名八幡宮吾嬬神社世良田東照宮辛科神社
群馬県3笹森稲荷神社貫前神社妙義神社青梅天満宮玉村八幡宮

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