群馬県の神社山門2

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群馬県神社山門:一覧

名 称
建築年
内   容
場 所
備 考
・上野國一社
・八幡宮
 上野國一社八幡宮は天徳元年(957)、石清水八幡宮(京都府八幡市)から分霊を勧請して創建した古社です。当時、八幡宮は1つの国に1社のみ認められていた事から上野国一社八幡宮とも呼ばれました。源氏縁の神社だった事から、源頼義や源頼朝、その後裔とされる新田氏、足利氏、武田氏、徳川氏から崇敬庇護されました。古くから神仏習合し明治時代の神仏分離令により神社となりましたが、境内には仁王門(随神門・神社山門)や本地堂、鐘楼など仏教色の強い建物が名称を変え残されています。・群馬県
・高崎市
・八幡町
 
・山名八幡宮 山名八幡宮は平安時代末期に新田義重の3男と山名義範が宇佐神宮(大分県宇佐市)の分霊を勧請し創建しました。山名氏は長く当地を支配し、八幡宮は氏神として歴代山名氏が崇敬庇護しました。特に境内が鎌倉街道沿いにあった事から多くの旅人も参拝に訪れ賑ったそうです。江戸時代に入ると前橋藩の藩主を歴任した酒井家から庇護され社領の寄進などが行われています。山名八幡宮は古くから神仏習合していましたが、明治時代の神仏分離令、廃仏毀釈運動により仏教色が一掃されています。・群馬県
・高崎市
・山名町
 
・吾嬬神社 吾嬬神社は大同元年(810)に坂上田村麻呂が吾嬬山頂に日本武尊を祭る祠を設け創建した古社です。その後、冬季の吾嬬山への登拝が大変だった事から当社である里宮が設けられたと思われます。永正2年(1505)には山頂の奥宮から御神体(神像)が移され名実共に吾嬬山信仰の中心的存在となりました。古くから神仏習合し明治時代の神仏分離令により神社となりましたが、吾嬬神社の境内には随神門(旧仁王門?・神社山門)が残され、社殿には現在でも薬師如来座像が安置されています。・群馬県
・中之条町
 
・世良田東照宮 世良田東照宮は寛永21年(1644)、3代将軍徳川家光によって創建されました。その際、日光東照宮(栃木県日光市)に建立されていた社殿が移築され、世良田東照宮の社殿として転用されています。元々の日光東照宮の社殿は徳川家康の遺言に従い2代将軍徳川秀忠が質素に造営したものでしたが、家光は遺言を事実上無視して壮麗な社殿を造営し、秀忠の社殿が不要となり当地に移築されました。世良田の地は徳川家の祖とされる世良田氏(新田家一族)縁の地で、菩提寺である長楽寺の境内に東照宮が創建され、祭祀は長楽寺が担い神仏習合の形態を採りました。・群馬県
・太田市
・世良田
 
・辛科神社・寛文元年辛科神社は大宝年間に新羅系渡来人によって創建された古社です。古くから多胡郡の総鎮守的な存在として信仰の中心となった為、歴代領主や為政者から崇敬庇護され社運も隆盛しました。江戸時代に入ると、3代将軍徳川家光により社領の寄進があり、領主となった倉橋久盛や溝口家から庇護され社殿の造営などが行われました。辛科神社境内一帯が高崎市指定史跡に指定されています。・群馬県
・高崎市
・吉井町
市史跡
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