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 神社山門: 鳳来山東照宮

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鳳来山東照宮

鳳来山東照宮(愛知県新城市門谷)
【 概 要 】−鳳来山東照宮の別当寺院の鳳来寺は徳川家康の両親である松平広忠と於大の方が子宝祈願を行い家康を懐妊したとの由来を持ち、その由来を日光東照宮を参拝した徳川家光が知った事で霊地と悟り、東照宮の創建を計画しました。竣工前に家光は死去しましたが、4代将軍徳川家綱が工事を継承し慶安4年に竣工しています。以来、歴代徳川将軍家が庇護し、社領470石が安堵され、社殿の営繕工事は幕府が直接賄っています。現在の社殿は創建当時のもので、多くが国指定重要文化財に指定されています。鳳来山東照宮は日本三大東照宮に数える説もあります。

【 場 所 】−愛知県新城市門谷鳳来寺

【 構 造 】−切妻、檜皮葺、一間一戸、四脚門

【 備 考 】−鳳来山東照宮の別当寺院だった鳳来寺は大宝2年(702)に利修仙人が開いたと伝わる古刹として知られています。利修仙人は西暦570年に山城国(京都府南部)で生まれたとされ、修験道の開祖とされる役行者の下で修験道を学んだ後、鳳来山で仙術の厳しい修行を行い、遂には鳳凰や龍とも操る事が出来るようになり、西暦655年には百済に渡りさらなる修行を行い帰国しました。ある時、文武天皇が重篤となり、多くの医師が診たものの一向に快方に向かわなかった事から仙術の使い手として知られた利修仙人に重病平癒の祈願を頼むと、利修仙人は鳳凰に乗って宮廷に赴き17日間朝夕問わず祈祷を続け、遂に平癒したそうです。天皇は感謝の意から利修仙人の為に寺院を創建、これが鳳来寺の由来となっています。単純に計算すると利修仙人が132歳の時に開山した事になり一概には信じられませんが、その後も天皇の勅願寺として聖武天皇の病気平癒の祈祷も行いこちらも平癒に導いた事から光明皇后から「鳳来寺」の勅額を授けられたとも云われています。利修仙人が死没したのは元慶2年(878)、308歳の時とされ、その間、山中の霊木の杉から本尊となる薬師如来、日光・月光菩薩、十二神将、四天王を彫刻したり、門前で悪行を働く三匹の鬼を改心させ従者にしていたなどの伝説を残しています。

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