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 神社山門: 滝山東照宮

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滝山東照宮

滝山東照宮(愛知県岡崎市滝町)
【 概 要 】−滝山東照宮は正保元年に3代将軍徳川家光によって創建された神社です。別当寺院だった滝山寺は祖父である徳川家康が篤く帰依し徳川家縁の岡崎城に近い事から境内に家康の御霊(東照大権現)が祀られる事になりました。現在の社殿は創建当時のもので、多くが国指定重要文化財に指定されています。滝山東照宮は日光東照宮久能山東照宮などと共に日本三大東照宮に数える説もあります。

【 場 所 】−愛知県岡崎市滝町字山籠

【 構 造 】−平唐門、檜皮葺、一間一戸、四脚門

【 備 考 】−徳川家光は3代将軍の座を巡って実弟とされる徳川忠長と争い、特に実父の2代将軍徳川秀忠と実母の江(浅井長政の三女)が容姿端麗・才気煥発だった忠長を推していたとされます。一方、家光には乳母である春日局が鬼神の如く擁護し、初代将軍徳川家康に直談判した事で圧倒的に不利だった後継者争いも急転直下、家光に決しました。上記の話の真偽は判りませんが、一般的には家光は秀忠には反発し、家康に対しては崇拝したとされ、忠長にも冷遇した後に自害に追い込んでいます。家光の東照宮に対して執着は常軌を逸している程で、日光東照宮の大造営を皮切りに、秀忠が造営した日光東照宮の社殿を排除して、徳川家の祖である世良田氏(得川氏)発祥の地に世良田東照宮を創建し社殿を移築しています。さらに、家康の両親である松平広忠と正室於大の方が子授祈願を行い懐妊したと伝わる鳳来寺の境内には鳳来寺山東照宮を創建し、家康の生誕地で青年期を過ごした岡崎城の周辺にも東照宮の創建が望みました。そこで、家光は岡崎城の近くに境内を構え家康が城主時代に篤く信仰したとされる滝山寺が霊地である事に定め、当時の住職である青龍院亮盛と、重臣である酒井讃岐守忠勝と松平右衛門大夫正綱の3人を呼び滝山東照宮の創建を命じました。滝山東照宮は滝山寺の東方、向かって右側の高台を造成し境内が設けられ、社領200石が安堵されています。

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